について語って

断念すべきことがらを語ってしまったと後味の悪さが残った。自分にどうにもできないなら、戦争について語るべきではないのではないのか。自分は安全な場所にひきこもっていての情勢分析など、唾棄すべきものではないのか。それが最低限の倫理というものではないのか、などと自省した。
イラクアフガニスタンも問題だが、自分一人生きるか死ぬかというのも解決できないでいて、大問題を語っても意味ないように思う。自分は35歳無職ひきこもりの社会不安障害回避性人格障害(不安人格障害)に過ぎないのだ。そういう卑小な自分に平和を希求する権利があるのか、と思う。
というか。自分の言説、典型的なニヒリズム、ないし、シニシズムのそれだよね。それって昔から自分が批判してきたものでは? 自己撞着を起こしてるのではないの? と自己ツッコミ。
でも、ニヒらずにやってられるかよ、とも思う。大状況も小状況も。世界大の事象も、身の周りのささやかなことがらも。