Place To Be

先程の日記の続きだが、結局私は、運動に、Place To Be、居場所を見出すことができなかったのだ、と思う。勿論運動組織体は、もろもろの課題を解決すべきものであって、単なる居場所の提供や友達作りの場であるべきでもない。だが私は、賃労働の場でも、地域でも、運動においても、居場所や友人を獲得できなかった。結局、Cafe LETSに回帰するよりほかなかった。
思い返せば、Cafe LETS第一期は、「革命トシテノ無為、無為トシテノ革命」というイベントをやったが、これがまた参加者=0という画期的なもので、結局、無為のうちに崩潰したのであった。
私がフリーター労組を辞めようかと考えているのも、私がなんというか、闘争的主観性のようなものを共有できないからだ。なんというか、活動家失格。運動ができない、のである。だから、運動団体から退く、というのは理に適っている、と思う。
私は、平和運動をやりたいと思ったこともあった。だが、残念なことに私はエゴイストで、想像力によって掴まれる無数の死のリアリティよりも、自分一個の生存の可否といった問題のほうを優先せざるを得なかった。そこにおいて、私は、倫理を喪失し、活動家たるの資格を喪失した。故に惰民であり、転向である。
十年以上前からそうであったように、私は端的に病人、(柄谷風にいえば)「ビョーニン」である。他者を志向する倫理的運動などを目指すべきではないのだ。欺瞞に陥りたくなければ、社会運動に関わるべきではない。
太宰治ではないが、私は、人間失格、だと思う。