戦争の話をする。

もともと、ラジオで、a−29さんが、アメリカのアーティスト、ライアン君と日本のインディーズ系アーティストの違いに言及して、戦争との距離の違いみたいなのがあるのかという問いを立ててきたところから話が始まった。
友人がイラクで戦死する国とそうでない国の差なのかな、とa−29さんが言うので、私が、日本も自衛隊イラクに派兵している、ただそれが「友人」とかのレベルでないから見えにくいだけだと応じた。戦場死も出ている。香田証生さんが殺され、奥さん・井ノ上さんが殺されている。小泉内閣の時のことだから忘れられている面はあるだろうが、死者も出ているのだ。
日本 / アメリカ / イラクアフガニスタン、という区分けをして考えるべきだということを私は述べた。アメリカ兵は、自爆攻撃などに遭って、「運が悪ければ」戦死する。イラクの民衆は、必需品を求めて市場に出かけても、仕掛け爆弾で爆殺される。死や暴力の露呈ぶりが違うのだ。或いは、ファリュージャを思い起こしてもいい。あそこには、徹底的な勢力不均衡がなかったか? 圧倒的な力量の差のもと、殺し殺される関係がなかったか?
頭の中だけで、或いは言葉の上だけで上記状況を「理解」したり「批判」しても仕方がないと思いつつ、自分は現実に35歳の無職ひきこもりに過ぎないわけで、圧倒的に非力、無力である。無力感は幻影ではなく、現実、事実である。私が社会運動をやめたから、そう感じるのかもしれないが。しかし、仮に自分が昨日World Peace Nowに参加していたとして、大勢に影響あったろうか? 特になかったろう。
沖縄基地の問題も迷走を続けているし、鳩山内閣の支持率も遂に30%まで下落した。もういつ倒閣してもおかしくない状況である。国内政治的に言っても、社共の左翼連立政権ができる見込みはなく、政局の混迷は続くだろう。そして、振り回されるのは、私達草の根の下々の国民・市民・民衆。大昔からそうなのだ。
などと呟いてみました。不気味な人はスルーしてください。