三十五歳パートタイマー やれることがない(二千十年二月十四日日曜日、攝津正)

私は千葉県船橋市に住んでいる攝津正という者で、浦安市の倉庫で肉体労働をして生活している。神経症を患い、同性愛者である。社会運動をしていたが、労働で疲弊して「転向」した。運動に復帰したが、やることがない。というか、やれることがない。音楽をやっているが、それで食っていく目処も立たない。むしろCD購入やライブ参戦で馬鹿みたいにお金が出て行く一方で、このままでは破産だ、と思う。音楽のためなら破産しても命を落としても悔いはない、と思う反面、やはり破産したくないし死にたくもない、とも思う。常識的・保守的・凡庸である。私は文章も書くのだが、それもやはり冴えない。要するに私は、何をやっても駄目な人なのである。惰民だ。
私のような存在は昔からいた。亜インテリとか、似非芸術家(三流物書き志望者、三流音楽家志望者等々)とか。活動家崩れとか。何しろ私は、批評家の鎌田哲哉から「人間の屑」認定を受けている正真正銘のJUNK(すが秀実)である。自殺も考えたが、怖くて実行できない。私は二十年以上、死にたいと言い続けていながら、自殺未遂の一度もしたことがないし、今後する見込みもないのである。だらだら惰性で生きている。生きることはよい、と言われるが私のような生存も「よい」のか? 本人は苦しんでいるのだが。生きるのは難しい、生きるのは苦しい、生きられない、というのが口癖である。言葉を足せば、「自分の望むようには」生きられないということだろう。そんなの大多数の民衆の現実だ、と言えばそうなのだが、自分の望まぬ生に執着することに、何の意味があるだろう。
私は、十年前、NAMという柄谷行人が始めた運動にいた。NAMは、それから派生したQという組織とのぐずぐずな抗争の末みっともなく自壊したのだが、十年が経って、運動としてのNAMにも思想としてのNAM原理にも一切意味を認められない。単に無意味だったと思う。私自身の暴走・愚行も含め、NAMは駄目な組織だった。人間が駄目だった。
フリーターズフリー』は知らないが、フリーター全般労働組合の事務所で読んだ記憶がある。私に資格があるかどうかは分からないが、一応非正規労働者(パートタイマー)であるということで、フリーターなので資格はあると勝手に考えておこう。さて、パートタイマーとして働いていて一番切実に思うのが、賃金を上げて欲しいということである。私は時給***円で働いている。一日に六時間四十五分から七時間四十五分働く。月の手取りは、多い時で**万円、少ない時で**万円である。これでは生活できない、と思う。パートタイマーは、主婦パートや学生アルバイトを典型に考えられてきたのだが、それで生活している層を考慮して、最低賃金を上げるなり、賃金と社会保障をミックスするなどして、生活を底上げしていかないと、困窮者は増える一方だと思う。私も困窮している。困窮して、湯浅誠さんらがやっている「もやい」にも行ったが、使える制度はないと言われ落胆して帰った記憶がある。私は、借金漬けになっていたし、今もそうだ。クレジットカード使い過ぎで多重債務者である。買い物依存症である。私には障害年金受給も生活保護受給も無理なのだ。だから働くしかないが、三十代半ばで働いた経験なしの人間を雇う企業はそうそうない。結局フリーター全般労働組合の知人から紹介された会社で倉庫内作業を始めた。もう一年半程になる。
その仕事も欠勤や早退を続けたりして、首が危ない。まともに勤められない。賃労働、キビシー、と思う。七時間八時間肉体労働するというのは私には無理。借金返済で纏まった金が必要だったので今の仕事に就いたが、過酷な肉体労働に体中の筋肉が痛んでいる。いや、贅肉か。転職しようと、簿記やパソコン検定の勉強をしているが、はかばかしく進まない。それに、事務職は人気があるので経験者から雇う傾向にあるという。私は三十五歳、未経験である。資格を仮に取れても、雇われない確率のほうが高い。そう思うと憂鬱になる。だが、生きていかねばならないのだ。
私は精神障害者でもある。精神病院に通い、不安障害(不安神経症)と診断されている。パキシルという薬を処方され、その副作用で性的不能である。いや、不能じゃなくても、相手探したりできないんですが。私は同性愛者でもある。だが、活発な性的活動ができているとは言い難い。先に書いた薬のせいで性欲消失というのもあるが、中年メタボ豚という要素も大きいと思う。ファッションセンスもない。要するにキモい中年のおっさんなのだ。これでも五年程前は、リンダちゃんとしてトランスジェンダーを試みたこともあるのだが、見事に失敗した。ひびのまことが言う、「誰でもトランスジェンダーになれる」というのは、少なくとも私の場合当て嵌まらないようだ。
諍いを起こし脱退していたフリーター全般労働組合にも復帰したが、居場所が見つけられないというか、私にできることがない。組合は多方面に活躍しているが、私はといえば一日賃労働で拘束されているか、欝で寝ているかで、活動に参加できない。何のために入っているのか意味が見出し難いとも思う。金が掛かるだけなら、辞めるべきかも? レイバーネットもそうだ。私は転向して、左翼ではなくなってしまったのだ。
私は「普通の」左翼、ソフト・スターリニスト(九条護憲)だったと思う。だが、働くようになり、「自分苦」と自分では呼んでいるが、自分の生活がキビシ過ぎて他者を顧慮する余裕が無い状態に陥り、運動ができなくなった。それで転向した。原理原則より生活保守を優先するようになった。生活保守主義としてよく槍玉に挙げられる態度だが、私は生活保守主義にはやむを得ぬ部分があると思う。いかに倫理的責任があると言われても、体が動かないものは体が動かないし、できないものはできないし、やれないものはやれない。私は自分が豚だと思う。昔、吉本隆明の思想にかぶれた者らを左翼活動家らが蔑称して「自立豚」と呼んだが私などはさしずめそのメタボ自立豚であろう。
哲学・文学・音楽も駄目である。そもそも私の没落(?)のきっかけは、早稲田大学大学院で落ち零れたことにあるのだが、哲学書を原書でも翻訳でも、読めない。理解できない。考える余力がないし、読む気力がない。去年、今年こそはヘーゲルの『大論理学』を読もうと元旦に決意したが、一年終わってみると結局一ページも読まなかった。文学にせよ、試作を書いてみたが、普通のブログ文章を三人称に直しただけという悲惨な代物で、全く芸術的価値も商業的価値も無いと言わざるを得ない。音楽も、賃労働が過酷で練習時間が取れないため津軽三味線も辞めてしまったし、ピアノにしてもファンキー・シーズというバンドを解散してしまった。ソロで弾いていても、技術の拙さは如何ともし難いのが自分でも分かる。三十五歳でこれだから、もう希望はないと思う。
このように考えてくると、死にたくなるのだが、死ねない。絶望とは死に至る病である、というのは死ぬことができないという病であると喝破したのはキルケゴールだが、そういう状態か。斎藤環はひきこもり青年は自己愛故に死を思い自己愛故に死ねないと語っているが、そういう状態か。私は、極めて自己愛的である。自分自身にしか関心がない。エゴイストである。ナルシストである。だからこそ死にたいのであり、死ねないのである。常に死ぬことを考えているので、死の思想と馴れ合ってしまった。もうそれは身近な友人のようなものだ。常にそばにある。
私はエゴイストなので連帯、アソシエーションができない。倫理すら放棄した。快楽主義である。功利主義である。だが、快楽よりも苦痛を甘受することのほうが多い快楽主義者とは! 私は苦痛からの根本的解放は死以外にないと思っている。生きることは苦しい。音楽は麻薬のようなものだ。依存症になるし、苦痛を一時的に忘れさせる。だが、それも長続きはしない。
これくらいにしておこう。また、自分のことばかりになってしまった。