『生きる』-29

攝津は父の車で高根木戸の皮膚科に行き、図書館に寄って帰宅した。化膿した部分を切って膿を出し、軟膏を塗り、抗生物質を投薬された。これだけなら近所の皮膚科で良かったのではないかという疑問は拭えないがまあ、いいとしよう。図書館では経済や簿記、会計関連の本と文学関連の本と半々位借りた。多く借りてもそうは読めぬものである。
帰って来て、パソコンの前に座ると、原因不明の鬱病。早退した事への罪悪感か。そうかもしれぬ。攝津は昨日今日と二日続けて午前中だった。その分賃金が減るのではあるが、申し訳無い気持になるのは確かである。
それと表現者としての自信も喪失していた。自分の書く物や弾く物が良いと自分で思えなかった。千葉銀行普通預金口座に、らじろぐのピアノ演奏聴取料金として、前田さんから一万円が振り込まれていたが、攝津は恐縮した。お金を頂けるのは凄く有難いし助かるのだが、自分はそれに値する事をやっていないのではないかとの疑念が拭えぬ。地域通貨投げ銭でさえ、頂けぬ場合が多いのだから。
インターネットの世界は基本は無償だと攝津は考えていた。それが良い所だと思っていたが、人間金が無ければ生きていけない。少なくとも資本主義社会では。そして、現在のところ、資本主義がどうにかなる見込みは全く無い。お金が無くなる社会などやってきそうにも無い。現状を受け容れて生き延びる術を探らねばならぬようである。その事も攝津を憂鬱にした。攝津は資本主義社会への不適応児である。最初に就職した会社で、社長のCさんから、攝津君はビジネスに関心無いだろ、と図星な指摘をされた。商談の席で、攝津が凄く詰まらなそうな顔をしていたのだと言うのである。そういえばそういう事もあったかもしれぬ。攝津は商人、ビジネスマンにはなれぬ性質だった。というか、何者にもなれぬのだ。
そういう事を考え始めると、抑鬱が深く深く進行し、遂には動けなくなってしまう。不安や抑鬱、パニックには理由がある。この社会に適応出来ないという事、これこそ攝津の根本問題だった。資本主義が共産主義に変ろうと無政府主義に変ろうと人間性という物が変らぬ限り攝津はその社会に不適応であろう。攝津が、母子密着である故に怪物であるという指摘も2ちゃんねるに転載されていた。攝津が削除したブログコメントである。そうなのかもしれぬ。しかし、攝津に会った事も無い者がどうして攝津が母子密着型だと見抜けたのだろう? 意味不明だな、と攝津は独り呟いた。
2ちゃんねるには、この小説と称する物とブログ記述の差異が無いという指摘もあったが、全くその通りだった。「攝津」を「僕」なりに変えればブログになってしまう。内容、文体共に独創性を全く欠くのが攝津の根本的欠陥だった。