『生きる』-23

「自己が無い、これが攝津の宿痾だった。」攝津はそう書いた。その事の意味を詮索してみようと思う。
それは攝津が、民主主義者を自称しつつその実権威主義者だったという事である。柄谷行人なり柳原敏夫なりに依存し、彼らを「超自我」とし、彼らの眼差しのもとで滅私奉公する。その構造は、依存先が鎌田哲哉西部忠に変っても不変だった。だが、これは奉公される側にも迷惑な事だった。誰も滅私奉公、自虐的、マゾヒスティックな迄の奉仕など求めておらぬ。それは単に気持悪い、不気味な物でしか無い。
だが、柄谷さんや鎌田さんは、不可能な命令、「自由であれ!」という命令を下したのである。言い換えれば「私に従うな」と命じたと言っても良い。これは典型的なダブルバインド(二重拘束)状況を生む。どう振舞おうと、命令に従った事にも違反した事にもなってしまうからである。
ダブルバインド状況を脱するには、狂気か、禅的ユーモアしか無い。或いは自虐芸人になるか。
攝津は柄谷信者の盲目を嫌ったが、それは半ばは自己嫌悪だった。攝津自身が大いなる盲目の人、状況を理解し得ない時代錯誤、場違いの人であった。