自己

『生きる』-23

「自己が無い、これが攝津の宿痾だった。」攝津はそう書いた。その事の意味を詮索してみようと思う。 それは攝津が、民主主義者を自称しつつその実権威主義者だったという事である。柄谷行人なり柳原敏夫なりに依存し、彼らを「超自我」とし、彼らの眼差しの…