『生きる』-15

Qの松原さんから、彼のNAMサイト(http://re-nam.org/)で公開したいのでNAMの過去ログをくれないかと自由放送のMLで求められたが、攝津は躊躇した。先ずNAMやQの過去ログが入ったデスクトップのパソコンは故障してしまっていた。柳原さんからいただいたCD-Rが探せばあるかもしれなかったが、億劫が先に立った。それに、全ての過去ログの公開が望ましいのか、攝津にはかつての自分と違って確信が持てなくなっていた。攝津がかつてNAMの総括を求め全過去ログの公開を求めたのは、NAMの問題性を明らかにすべきという衝動があったからであった。しかしQの松原さんの動機はNAM批判ではなく、NAM懐古にあるように見える。NAMは懐古すべき物なのか? 攝津にはおおいに疑問だった。
攝津にはNAMの営為が無意味に感じられた。
自分や他の会員がやった全てが無価値に感じられた。
十年経って、その「無意味」が顕になった、そう感じている。

などと言いながら、攝津もNAMの再建を考えているのだった。ただ、再建されるのはかつてのNAMとは全く違った物でなければならぬとも感じていた。
組織というより個人、自分が大事だった。自分がNAM的に、というかスピノザ的に、有能な身体を持つ者に成る事が重要に思えた。そういう意味で、かつて NAM会員だった自分より、今の自分の方がNAMに相応しい、と攝津は考えていた。柄谷行人は「手に職のある人」を求めていたが、攝津は倉庫内労働のベテランだし、運転免許を始め、簿記、パソコンなどの資格を取得しようと勉強している。少しでも有能な心身を構築しようとしている訳だ。そのような自分、成熟した自分の方がかつての自分よりもあるべきNAMに相応しい、と攝津は感じていた。
何よりも生活する事、労働する事が大事だ、と攝津は考えた。NAM「である」とは、生きる事の裡の微細な差異として顕れるように攝津には思われる。地域通貨の取引、交換のような小さな営為(例えばインターネットラジオをやるなど)の積み重ねがNAM「に成る」ように思われる。自ら創り出すべきNAMとは、一つの生き方、生きる流儀である。攝津はそう考えていた。攝津はNAM讃美ともNAM否定とも遠い場所に居た。十年前の楽しい経験を経験として織り込みつつ成長する自己があった。NAMは娯楽でもあったのである。その事が忘れられてはならぬ。