の人、他者がいない。

僕はジャック・ケルアックの自然発生的散文という提言に賛同し、自由連想的にものを書いているが、ケルアックにはニール・キャサディという絶対的な存在がありそれが彼の小説群を可能にしたのに対し、僕には他者がいない。自分自身しかいない。だから、小説なり批評等が書けないのだと思う。自分だけが登場人物の小説って筋も発展性も何もないでしょ。