賃労働三十五日目:速報 やった!試用期間二ヶ月突破!!!!

さて、攝津正である。
スローワークも三十五日目を迎えた。今日も無事終えたことを喜びたい。嘘やお世辞でなく、うちは本当に素晴らしい会社だと思う。私のような「人間の屑」を雇用して救済してくれているのだから。私などに、給料を払ってくれるのだから。それは当然と言えば当然のことだけれども、しかし、私にとってはとても難しかったことである。例えば、私は近所のコンビニに面接に行って落とされたことがある。店主から監視カメラの映像を見せられ、「みんな店員は、動物のように機敏に動いているでしょう。貴方にこういう動きができますか?」と言われた。それで落とされた。そのような屈辱体験がある私には、私を受け入れ働かせてくれる(株)新晃は本当にありがたい存在である。心から感謝している。
今日は良い報告ができる。上司のKさん(女性)から、来月の休みの予定表を事務所に提出するように言われたのである。ということは、来月も勤務できるということで、試用期間の二ヶ月は無事突破したということである。このことを私は本当に喜んでいる。感謝の心である。
今日は午前は「引き」と段ボールを切る作業、午後はピッキングオリコン作りであった。私はこれらの労働を、運動競技のようなものに感じている。私は生に究極の根拠を求める哲学を持っているが、それは具体的には、後期フッサールが言うところの「私はできる(われ為し能う)」として経験されると考えている。端的に、手を伸ばしたり、曲げたりができるということである。身体そのものに根拠がある自然権と言い換えてもいいだろう。私は、オリコンを作り、積み上げ、レールに乗せるという一連の動作がいかに素晴らしいものか、と思う。私はそれを幾時間続けても倦まず飽きず、疲れぬ。これは誰にでもできる労働であるが、しかし、当たり前のことだが、やろうと思わねばできぬ。そして私はそれをやりたいと思うが故に、できるのである。これは私に向いた作業だと思う。
帰りの電車の中では持参した本も読まずCDも聴かず思索に没頭していた。ジル・ドゥルーズの『差異と反復』の後半の第四章と第五章は奇妙に見える。数学や物理学をも包括した自然哲学的なる思弁。そのようなものが現代に可能であったということ自体、ドゥルーズの「反時代性」そのものだと思える。──が、しかし、──ここからが私の言いたいことである──それは私達が戦前の哲学に無知だからに過ぎないのである。微分をもって実在の生産と考える哲学は、カントの同時代人のサロモン・マイモン Salomon Maimonから新カント派のヘルマン・コーヘン(コーエン) Hermann Cohenに至るまで続いている。特に新カント派は重要である。何故なら、私が十九世紀末から二十世紀前半に掛けての重要な運動と考えるもの全てが、新カント派を論敵としていたからである。ウィリアム・ジェイムズらのプラグマティズムがそうであり、西田幾多郎田辺元ら京都学派がそうであり、フッサールハイデガー現象学運動がそうであり、ベルクソンがそうであった。彼らの哲学は今でも重要なものとして扱われるのに、彼らが対話の相手にしていた新カント派は忘却の淵に沈み込んでおり、その状況が変わる気配はまるでない。翻訳もないから、最近の若い人はそもそもその存在そのものを知らない。
アメリカと日本についていえば、少なくとも西洋的なる哲学の営みは、近代において始まった。哲学の新興国であるという点で共通している。そして、両国の最初の独創的なる哲学者であるところのウィリアム・ジェイムズ西田幾多郎が、新カント派と対話し、彼らを論敵として彼らの「純粋経験」の哲学を形成していった、ということは重要である。わが国とアメリカについて、その哲学の草創を語るうえで新カント派との対話という契機は欠かせぬのに、全く忘れられているのだ。
話は飛ぶが、私達が戦前の哲学的光景に無知だということは、ドゥルーズの『差異と反復』の第四章と第五章が理解できぬというところにも現れている。現代数学の言葉で存在論を語るというモードは戦前においてありふれていた。田辺元がそうであり、フランスでは、ドゥルーズもたびたび引くところのアルベール・ロトマン Albert Lautmanがそうである。ドゥルーズはその戦前的伝統を再興しているに過ぎぬ、が、そのことに私達は気付かぬのである。
ちなみに、マイモンは、哲学的主著の邦訳はないのに、自伝の邦訳がある。『一放浪哲学者の生涯』(小林登訳、筑摩書房)である。コーヘンは戦前の邦訳しかない。『コーエン純粋認識の論理学』(岩波書店)、『純粋意志の倫理学』(第一書房)、『純粋感情の美学』(第一書房)、『カント純粋理性批判解説』(春秋社)、『プラトンイデア論と数学』(岩波書店)。アルベール・ロトマンの著書の邦訳はない。国内の大学図書館では、Essai sur l'unite des mathematiques et divers ecrits、Essai sur les notions de structure et d'existence en mathematiques、Les mathematiques les idees et le reel physique、Les schemas de genese、Les schemas de structure、Nouvelles recherches sur la structure dialectique des mathematiques、Symetrie et dissymetrie en mathematiques et en physique ; Le probleme du tempsが閲覧可能である。