終わったと始まっていない

柳原敏夫=朽木水は、現在は消去している模様だが、かつて自由の森学園の変質・腐敗(簡単にいえば、共産党系の道徳的な教師らがヘゲモニーを握ったこと)を激しく糾弾し、その理念の「死」を語るホームページを作っていた。そして、彼がQの死を宣告したのも同様な態度からであった。2003年、俺が彼に、NAMこそ終わっており、死んでしまったのだと迫った時、彼は自分はNAMは終わったとは思っていないと答えたが、現在も同じ認識なのだろうか。だとしたら問題だと思う。

Q-NAMの総括は「時期尚早」どころか「遅過ぎる」くらいであり、もう忘却の淵に沈みつつある。NAMが終わっていない、死んではいないというなら、その証拠を見せて欲しい。

自由の森学園やQにはその死を軽々しく宣告するのに、NAMに関してはあれこれ言い逃れる態度は、まさしく二重基準でしょう。そんなものが容認されるはずはない。