思い出

柄谷行人がNAM代表をやめた時、選挙とくじ引きをやった。代表選挙で、一番得票数が多かったのはid:kurageruさんだった。二位は山城むつみ。が、id:kurageruさんは文学研究に専念したいからとあっさり辞退。山城さんも特に理由もなく、いやだからいやだみたいな理由で辞退。辞退が相次いだ。で、結局田中正治がNAM代表になった。柳原敏夫=朽木水と和氣久明が副代表。

あの気の抜けたような代表選挙の段階で、もう実質上NAMは終わっていたのかもしれない。
その後は柄谷行人院政

Q-NAM紛争の時に柄谷行人が、田中正治に関して、「所詮くじ引きで選ばれた代表の癖に何を偉そうに」とキレていたと仄聞するが、事実だとすればまるで駄目だなあっつーか、自分で提唱した原理を自分で否定しちゃ駄目でしょ。

じゃ、くじ引きで選んだ代表より自分のほうが偉いってかい。

フレデリック・ジェームソンでさえ俺が一分間怒鳴ればハハーとなるのに、西部の奴は…」とも言ったな。ハハーとなるのが当然とでも思ってるのかい。ジェームソンだってあんたの意見を承服したわけじゃなく、単に呆れてるだけかもしれねえよ。