思い返すと欝になるんだが

思い返すと欝になるんだが、繰り返し反芻してしまう。
当時のこと。柄谷行人から、須栗・生井はNAMに残れないが君には最後のチャンスを与える、Qをやめろ、さもなくば絶交する、とのメールが来た時のことを、繰り返し思い出す。
同じようなメールはid:kurageruさんのところにも送られていたが、id:kurageruさんは冷淡というか落ち着いていた。が、僕は狼狽してしまい、すっかり参ってしまった。
id:kurageruさんは京都会議に参加していなかったので、情勢判断が冷静だった。京都会議以後の狂気のような情念の嵐に巻き込まれずに済んだ。id:kurageruさんは、Qが非NAM的になったとは思わない、とNAM規約委員会で発言し、柄谷行人から「お前は官僚のつもりか!」と罵倒されていた。それも不当なことだったと思う。
山城むつみなどは、事実関係がはっきりしないのに、柄谷行人の発言が正しいと前提して議論していたのはおかしいと思う。
それと今思い返すと、規約委員会にせよ抜本的改革委員会にせよ、情勢の緊迫に比べて妙に形式主義的というか、些末な議論に拘泥しているというか、そういう印象を受ける。
必要なのは些末な形式に拘ることではなく、柄谷行人の非民主的態度をきっぱりと退けることではなかったのか。
だが、それは所詮NAMには無理だったということか。