プアなまなざし/攝津正 Tadashi SETTSU a.k.a. "Linda"

以下の原稿は或る雑誌のために書いたが、結局没にしたものである。それで、今ブログにて公表することにする。

ワーキング・プアに関する原稿を依頼された。それは恐らく、私がだめ連の流れを汲むフリースペースあかねの当番をしていたり、自由と生存のメーデーサウンドデモなどで知られているフリーター全般労働組合の組合員であったりするからだろう。私のことを推薦してくれた友人らもいたようだ。そうしたことには素直に感謝したい。
ワーキング・プアという言葉が用いられ、定着したのは、数度にわたるNHKのドキュメンタリーの効果が大きい。確かこのNHKのドキュメンタリーは、何かの賞を獲得したはずである。私もこのNHKのドキュメンタリーを見たが、そこには確かに「働いても働いても豊かになれない」いわゆる「先進」諸国内部に現出した新たなる貧困の姿がありありと描かれており、共感し且つまた戦慄した。
が、ワーキング・プアという言い方を自分自身の生のありように当て嵌めていいかと自問すると、疑問もある。というのは、「プアではあるがワーキングとは言えない」ようにも感じるからである。
私は芸音音楽アカデミーという千葉県の音楽学校(カラオケ教室)の代表をしている。高校生が最近入ったが、生徒さんの大半は地域のお年寄りであり、健康を害したりして来なくなったり休むケースも最近目立っている。それで、レッスンが週に1日あるかないかという状況にある。
それで、店舗スペースを「Cafe LETS」として「開業」したのだが、しかし、シャッターを開けて店を開け座って客を待ち続けるという「労働」がどうしても出来ず、開店休業どころか閉店休業状態である。また、井戸水でやっているのを水道を引かねばならず、それにかなりのお金が掛かるとか、保健所の検査を通るために内装を変えねばならずそれにもお金が掛かるとか、いろいろな理由で、飲食店営業許可を取っての正式な営業はしていない。そもそも私は、料理を作ることもコーヒー一杯淹れることも出来ない。
店内には数千枚のジャズのCDがあり、ちょっと見にはジャズ喫茶でも始められそうに思われるかもしれないが、しかし、オーディオが余りに貧弱なので──CDラジカセ一台しか動かない──それも出来ない。また、ジャズ喫茶を開業出来るほど音楽の専門知識があるわけでもない、というのが正直なところである。それに私は、ジャズピアノと津軽三味線を弾くのだが、批評家やジャズ喫茶店主になるよりも、演奏家として食っていければと願っている。
そんな私に適切な呼び名は、「夢追い型フリーター」ならぬ「夢追い型ニート」ではないか。私は週に1日、2時間程度働くだけで、残りの時間は、猛烈に過剰且つ無駄な「生産」に没頭している。ブログを書いたり、ピアノや三味線の演奏を録音したり、音楽を聴いて感想を書いたり、もろもろの「自由活動」(決して賃労働ではない)をして過ごしている。
私は欝で、不安神経症と診断されてもいるが、それだから確かに本当に精神病者ではあるのだが、とはいっても正真正銘の単なる怠け者であることを否定せず公言している。私は怠け者である。働くのが嫌いであり、好きなことだけしていたいから、33歳にもなって正業に就いたこともなければ今後もそうするつもりもまるでないのである。
そんな私のまなざしは、ワーキング・プアのまなざしというより、ワーキングとは言えない単なるプアのまなざしである。プアのまなざし。それがこの文章の主題である。

これまで私は、『アナキズム』誌に『プレカリアート宣言』を、『リプレーザ』誌に『惰民で悪いか?』を公表している。私のプレカリアート(不安定労働者)に関する基本的な認識については、そちらを参照していただきたい。ここでは単なるプアのまなざし、貧者のまなざしということで語らせてもらう。
ネグリ=ハートやパオロ・ヴィルノは、現代社会の特徴として、労働が知的になったことを挙げている。確かに私も、言われてみれば高学歴である。早稲田大学及び同大学院にて西洋哲学を学んだ。が、哲学なりの知識にせよ、音楽の教養にせよ、まるで「労働」には役立っていないと感じている。非常に高度(と自分で言うのはやや恥ずかしいのだが)な「知」と「労働」が乖離している、それが今の私のありようだ。
やや恥ずかしい告白を続ければ、私は最近、講師料は無給でいいので、ジャズの歴史を講義する講座を持たせて欲しいと、某芸術学校のコネに頼み込んだが無視された。私も私が所有し体現している知識なり技能を社会的に表現してあわよくば金にしたいという欲望は持っているのである。が、現代は高度に発達した複製技術が浸透している社会なのであって、ごく一握りの超優秀なアーティストなり物書きがいれば、二流以下の存在は不要とされる、そんな社会である。だから音楽家としても哲学(研究)者としても一流とは決して言えない私は、知的労働で世の中に出ることは出来なかった。卑近な例を挙げれば上原ひろみ(ジャズピアニスト)である。彼女のような存在がいれば、私のようなピアノ弾きは必要ない。上原ひろみも、超一流の存在でなければアーティストとしての存在意義はないということをよく理解しており、彼女なりの努力と演出でパフォーマンスを繰り広げている。
美術の世界も大変だと仄聞するが、音楽の世界も大変である。食っていける層は僅かであり、大多数は「兼業」音楽家たらざるを得ない。つまりバイトでもしながら夢を追うしかないのだ。アーティスト志望というのは恥ずかしいことかもしれないが、これはこれで茨の道なのであって、最後まで歩み抜けるものは、余程強いか、面の皮が厚いか、どちらかだろう(ちなみに私は後者である)。音楽では敢えて「食わない」という選択もある。が、その場合、他の何かをやって食わねばならない。そしてそれが大変に難しい。
さらに恥ずかしい告白を続けるが、私が昨年末派遣会社のグッドウィル(最近廃業が決定した)に登録したのは、純粋な生活苦などではなく、CDを買い過ぎて金がなくなったという実に恥ずかしくだらしない理由でだった。しかし日雇い派遣労働に身を投じてみて分かったのは、私の心身は過酷な労働に堪えられる能力を有していないという厳然たる事実のみだった。『ベリタ』掲載の拙稿でも詳述しているが、私は日雇い派遣二日目にして労災に遭い、右肩を骨折した。つい最近も、体内から金属プレートを抜去する手術を受け、退院してきたばかりである。
私のような人間は、本当はもっと真剣に悩んで絶望するか、自殺未遂でもしたほうがいいのかもしれない。73歳にもなる両親の労働によって生かされているというのは、本来働き盛りであるべき33歳の壮年の者としては恥辱以外の何ものでもないという気もする。両親の健康面の不安もあり、親が死んだら自分は食っていく道を失う、帰るべき場所もどこにもない、財産も貯金も何もない、という絶望的な行き詰まり状況を私は生きている。私は強い閉塞感を抱いている。その閉塞感が私を買い物依存へと向かわせ、それがまたクレジットカードローンの多重債務を抱える、精神不安の状況に転化する。要するに私はダメナ人なのである。ダメナ人である自分のダメナ特質を反省して欝になり、その閉塞を打破しようとしてネットでCDを買い漁り、経済的に困窮して苦しくなるというアホみたいなサイクルから抜けられずにいる。私は馬鹿である。そして、無能である。しかしそれでも、生きているし、今後も生きていければと思っている。
プアのまなざしからすると、今一部で熱く議論されているベーシック・インカム=基本給付は大いなる希望である。しかし、少し絶望的な気分になるのは、今生活保護さえ切り縮められているというのに、生活保護以上の「生」の保障を行政に要求できるかというと不安だからである。というより、本当は「哲学者・作家、ジャズ・ピアニスト・津軽三味線奏者」として食っていければ一番なのだが、それが無理なのであれば、生活保護でも障害年金でも何でも貰って生き延びたい、しかしそれさえも要件に該当せず不可能なのであれば、ベーシック・インカム=基本給付的なものに希望を託さざるを得ないが、しかし、それは本当に実現可能なのか。日々自問しているが、絶望的にならざるを得ない気がしている。
私のような人間は数多いと思う。そもそもの話の発端としてのNHKのドキュメンタリー連作ワーキングプアでも言及されていたが、今日本で生じているのは、中小・零細自営の崩壊である。それは私が生きている、芸音音楽アカデミーにまで及んでいる。一時期は百名を越す生徒がいた私の学校は、今生徒は十名以下である。そして毎週ジャズバンドのライブをやっているが、客は全く来ない。本来なら破産しているところを、義父が警備員労働をやってくれてようやく生き延びているといったありさまだ。恥ずかしいが、事実なのだからどうしようもない。
フリーター全般労働組合労働組合であるが、「生存組合」でもある。生存そのものを脅かされた者らが、相互扶助的に助け合い、生を生きるに値するものとして確保するための場でもあるのだ。そのようなグループは必要だと思う。われわれは、生を、自由と生存を奪われつつあるのだ。いわゆる「改革」と称する弱肉強食政策によって。われわれは、生を防衛せねばならない。生を生きるに値するものにしている何かを防衛しなければならない。一昨年の自由と生存のメーデーで似非原君が使っていた言葉でいえば(雨宮処凛福島みずほ『ワーキング・プアの逆襲』に収録)、「文化」を守らねばならない。お高くとまった芸術のみが「文化」なのではない。生を生きるに値する何かにするもの、それこそが文化である。その意味でわれわれは、文化を発明し想像=創造し、そして防衛しなければならないのである。