攝津正の音楽彷徨

ぼくの音楽彷徨は、「発狂」から始まる。
それは14歳の時だった。はっきりと覚えているが、ぼくの思考や感覚は狂い、妄想その他に支配され、学校に行かなくなった。
そして音楽のCDばかりを聴くようになった。

ぼくの最初のアイドルは、ウラディミール・ホロヴィッツだった。クラシックのピアニストで最初に聴いたのは、ウィルヘルム・バックハウスだったが、バックハウスが渋いピアノなのに対し、ホロヴィッツはあからさまな官能性でぼくを虜にした。しばらく、ホロヴィッツが紡ぐ音の世界に閉じ篭る日々が続いた。ホロヴィッツを通じてスクリャービンという変わった名前のロシアの作曲家が、神秘和音などという不可思議な理論を唱え、奇妙な曲を書いているのを知った。ピアノソナタ第9番「黒ミサ」はお気に入りだった。

初めてジャズを聴いたのは高校に入ってからだと思うが、確か『ジニアス・オブ・バド・パウエル』と『セロニアス・ヒムセルフ』だったと思う。特にパウエルの衝撃は凄かった。音楽観というか、人生観変わった。

大学生の頃は、ジャズも聴いたが、UAジュディマリCharaなどJ-POPもよく聴いた。特にジュディマリの『パワーソース』は青春の一枚である。

大学院、そしてNAM。NAM崩壊後…。やがて音楽を再開し、これまで偏っていたジャズの知識を網羅化しようとしてきた。その結果、百万円以上をジャズのCDにつぎ込んだ。ジャズというものはようやく少し理解できてきたが、自分の演奏がジャズの歴史に残るものだとは思えない。

今は幸福にも音楽一筋である。売れる兆しは毛ほどもないが。

ショパン・アルバム

ショパン・アルバム