現代日本におけるポストモダン運動:ニューアカ

現代日本におけるポストモダン運動は、資本主義の爛熟の相関物であった感が強い。端的にいえば浅田彰ニューアカ、『GS』などがそれである。重苦しいアカデミズムの重圧に押し潰されるのでもなく、商業主義に身を売るのでもなく、「思考」の場を切り開こうとしたのがそれであったともいえようが、それはやはり資本主義なり社会状況に規定されるものであって、いまやその言説は死に絶えている。浅田彰も旧来のアカデミズムに閉じ篭り、「投壜通信」(アドルノ)を続けているようだ。結局美なり芸術にしか出口を見出せず、緩慢な死の欲動に身を委ねる放恣な快楽以外生み出せなかったようにみえる。が、実際のところはどうなのか。