戦争とモダニズム

政治的に或いは歴史的にいえば、二度の世界大戦がモダンの「終わりの始まり」を示しているといっていいだろう。第一次世界大戦は、帝国主義戦争による列強の自壊を露わにし、第二次世界大戦は、ファシズム / ナチズム / 軍部独裁というかたちで噴出した非理性を(アドルノらによれば、そうではないということになるのだが)、ドレスデン爆撃や原爆投下などといった究極の殲滅・暴力でねじ伏せるとともに、西欧のヘゲモニーが終わりを告げ、アメリカという新興国家がヘゲモニーを握る次の100年を準備した。そして、今もアメリカがヘゲモニーを握る世界大の政治は続いている。が、それに限界が見え始めているということは誰もが指摘することだ。だが問題は、具体的にどういうふうに情勢が動くかだ。漸次に中国なりインドなりの発言力が増していき、アメリカのスーパーパワーもいずれは衰えざるを得ないのだろうが、具体的にどういう道筋でそれが進むかが見えない。アメリカの覇権が終わりを告げる時、アメリカの同盟国である日本もまた没落するのであろうが、どういう状況で破綻が生きられるのかは分からない。