プレモダン / モダン / ポストモダン

西洋哲学史においてはモダン(近代)は明確に名指すことができる。デカルトからヘーゲルまでだ。デカルトは近代という空間そのものを開いた人であり、ヘーゲルはそれを完成させた人である。ヘーゲル以降というのは、ヘーゲルからの様々な脱出口を求めての模索だったようにも思える。ニーチェベルクソンマルクスフッサールハイデガー……。日本においては、戦時中の京都学派らの「近代の超克」の議論が記憶に新しい*1。また、いわゆるフランス現代思想も、或る種の閉域から出ようという模索の連続であったと言えるだろう。

*1:この場合の近代の超克とは、「西洋近代」の超克であって、それを西洋起源の哲学という場で行うことの困難が露呈したともいえる。西田・田辺哲学の異様な難解さは、観念的に西洋を乗り越えようという志向から生じたといっても過言ではないだろう。