思いつき

油井正一レッド・ガーランドのことを所詮「カクテル・ピアニスト」に過ぎないと酷評したのに対し、ぼくはカクテル・ピアニスト上等と思ったわけだが、それと同様に、ぼくは「カクテル・エッセイスト」なのではないか。
深い思考の、精神分裂的で過剰運動的な危うさを回避し、表面的な言葉を弄ぶ。
改行も多い(笑)
レッド・ガーランドがピアノを弾くように文章を書きたい、というのは不遜だろうかw

と、ここで筆を置く。*1

mixiコメント転載:
いやぁ、頭おかしいんでしょwww
ハイテンションつかね

論語そのものは概念的体系的思弁ではありません。
朱子学とかは違うと思うけど。
万有を統一的原理から説明しようという志向が無い限り、概念的哲学的思弁とは言えません。
その意味で聖書や論語は「哲学」ではない。
が、中世スコラ神学や朱子学は「哲学」である「可能性がある」。
しかし、概念的体系的身振りを身に帯びる時、始祖の志(キリストなり孔子なり)を裏切っている可能性が高い。

キリストや孔子が明かすのは、逆説であり、パフォーマティヴな政治的介入であり、頓挫する実践であり、対話であり…要するに閉じた体系に収まりきらないダイナミズムそのものだと思う。
という私の見方が正しければ、神学なり朱子学は始祖の志とはかけ離れている、ということになるんだが、どうだろうか。
専門家の意見も聞きたいところだ。

*1:感想──踊る阿呆もぽろぽろと言葉呟く秋の夕暮れ