あかねで過ごした5年間・その1/あかね水曜スタッフ攝津正

私があかねに関わるようになったのは、NAMが解散した2003年のことだった。NAM会員の杉田俊介(現在は「フリーターズ・フリー」として活動している)や栗原信義と共に、究極Q太郎にインタビューに行ったのがきっかけだ。私は当時勤めていた会社を辞め、失意の底で方向性を見失っていた。そんな私に、究極はあかねスタッフをやってみたらと声を掛けてくれたのだ。
私は女装し、「リンダちゃん」という名前で土曜深夜のあかね当番になった。最初、究極と組んでいたが、究極が都合が悪くなったので、さんだー杉山との組み合わせに変わった。

あかねで一番印象に残ったのは、どんな駄目な人でも、たとえご飯の炊き方すら分からないような人でも受け入れるということ。私は料理が作れない。が、そうした点は、一緒に当番に入った人がカバーしてくれた。また、これはペペ長谷川が強調していることだが、あかねは「店」、つまり資本制企業ではない。ボランティアで運営されているフリースペースである。だから、「客」に「サービス労働」を提供するわけではない。交流といった営みを続けたい有志が、スタッフまたは利用者として、皆であかねという場を支える。それが理念である。

私は、究極Q太郎の人格というか、影響力に感化された部分が大きい。一番の影響は、究極なりの脱力とか優しさに触れたことだ。究極には、草食動物のようなというか、一種独特の柔らかさがあった。それは詩人としての資質だったのかもしれないが、私は彼から、のんびりやってもいいのだということを学んだ。究極は私に多くの助言なりをしてくれた。その一つが、攝津君も障害者年金を取ったほうがいい、ということだったが、これは残念ながらいまだ実現していない。が、究極は私の悩みをよく聞いてくれ、的確なアドバイスをしてくれた。私は、欝が重くなると究極に会いに行き、彼の話を聞くというのを習慣にしていた。だから、あかねから究極がいなくなってしまったというのが本当にショックだし、寂しい気持ちがしている。