勤労道徳の行き過ぎた支配からいかにして逃れるか?

確かに労働は尊いと思います。労働者の権利は守られるべきだと思うし、働くことに尊厳や意味、価値を見出すことができればいいだろうとは思います。

が、現在の日本社会において、勤労道徳(働かざる者食うべからず、というような)がほとんど強迫的に内面化されているのは、どうにも息苦しいし、生き苦しい(生きづらい)と感じます。

mixiなどでネット右翼と討論するのですが、彼・彼女らは保守的な勤労道徳を抱いており、執拗に私を中傷し揶揄してきます。もう慣れたので何を言われても平気になりましたが、最初は少し疲れました。少し挙げると、「パラサイト」「寄生虫」「プロ市民」「反日活動家」「社会のクズ」「精神障害者等です。

この日本人が内面化してしまっている超越的な法のようなものから脱却するにはどうすればいいのか、ということを考えます。労働全般を廃絶するとまでは言わないにせよ、資本家的生産様式における疎外された労働、賃労働からの解放くらいは口にしてもいいと思うし、それは必ずしもユートピアではないと思っています。マルクス自身晩年には、生産協同組合的な働き方を支持していたし、別に協同組合という形式を取っていなくても、生産者が或る程度自由な働き方・活動ができる余裕のある形態が可能なのではないか(資本主義が廃絶されれば勿論ですが、仮に当面資本主義が廃絶されないとしても、その限界内においても)と思います。私は、自分のお店、Cafe LETSをそういう意味でやっているし、あかねにもその観点から関わっています。しかし、そういうオルタナティブを求めるといったことは、ネット右翼を含め、この国の多数派には理解されないようです。


俺、超左傾してるし、その偏向を改めるつもりナッシング。不安定な飛行だがこのまま突っ走るつもり。人は呆れて黙るにせよ、嘲るにせよ、放っておこう。俺は俺、他人は他人。


つまりネトウヨ連中は、貧乏人が政治やったり活動すること自体が気に喰わんっつーか、「贅沢」だと思ってるんでしょ。だけど政治っつーのは、基本的で根源的な権利であり力だよ? 生きてることの証明みたいなもんだ。ヤメろったってヤメられないね、悪いけど。


幾ら叩かれタって、俺転向しないよ? ネトウヨのやり口は公安と同じ。汚い。親に言及し、親が泣いてるとか親孝行しろとか道徳的な説教持ち出して、自由で批判的な政治活動ヤメさせようとする。ケド、そんな手に誰が乗るもンか。手の内、見透かしてるってなもンよ。俺は俺主義で何処までも行くよ。万人が笑おうと、構うもンか。犀の角の如く唯独り歩め、ってなもンだ。それでイイのダ。


ネトウヨ諸君、今度は、「攝津は超自我が形成されてない、イドの怪物だ」ときタ。半端に精神分析用語を振り回して、失笑するしかナイ。アホは何処までいってもアホだ。ともかく、こいつらがやろうとしているのハ、転向強要以外の何ものでもナイ。それは断固として拒否すべきモノだ。


ネトウヨは揶揄だの誹謗中傷に躍起になってるケドさ、俺働いてるよ。今日だって芸音でプレカリ労働、それからあかねで無償労働だ。なんで会社に勤めてないだけでここまで中傷されるんだ? 会社に所属するとかしないとかがそんなに大事なコトなのカ?