ドゥルーズ/シネマ2

私は大学院在籍時に、研究室の本をボロボロになるまで読み返し、言及されている映画をチェックしたりしていたが、ドゥルーズの歴史意識で特異なのは、第二次世界大戦に断絶を見ていること。西洋の思想家で、第一次世界大戦にヨーロッパ的なるものの没落を感じた人は多い。例えば、D.H.ロレンスとか。しかし、第二次世界大戦の世界大の破壊に、人間の根本的なありようの機能失調なり崩壊を見て取った人は少ないと思う。

第二次世界大戦が根本的な断絶をしるすという歴史認識は、ジャズのそれと極めて近い。ジャズにおいても、チャーリー・パーカーらが発明した新しい音が「モダン・ジャズ」と呼ばれる或る種の吃り方(敢えて言えば)をもたらした。それは恐らく、世界同時的な現象だろうと思う。

恐らくスイング・ジャズと古典的な映画のモンタージュを比較できるだろう。そして、非合理的な切断なりの要素が導入される現代映画(それは基本的には、イタリアの作家達の実践に始まる)とモダン・ジャズの飛躍を比較することができるだろう。そこに表現されている現代性は、知覚→行動という機構が壊れた壊れ物としての人間が、純粋な見者なり聴く者として光なり音の洪水に晒される、という契機である。映画なりジャズなりは、その現代性の契機において、恐らくロマン主義と決別するか、或いはそこに新しい要素を持ち込むのだ。(未完)