つらつら考える2

『ザ・ジニアス・オブ・バド・パウエル』冒頭の「二人でお茶を」は、ジャズ表現の絶頂であるのみならず、近代音楽の一つの達成である、といえる。1950年前後のパウエルの演奏は、ジャズ史における一つの奇蹟である。即興表現がこれほどの高みに到達し得たことはかつてなかった。

普通に聴いても鬼気迫る演奏だが、少しピアノを齧った人なら気付くだろう。ここでパウエルは、左手で「二人でお茶を」のメロディを演奏しながら、右手で全く異質のアドリブを繰り広げている。それは、既にアート・テイタムが同曲を演奏する際に取っていたやり方だが、パウエルにおいて際立っているのはその緊張度(テンション)の高さである。

パーカーやガレスピーなど他のバッパーや所謂「パウエル派」のピアニスト達とバド・パウエルを画すものは、この異常なまでの緊張度である。同じ超絶技巧といっても、アート・テイタムオスカー・ピーターソンの場合は全く違っている。彼らはどんなフレーズを弾こうと余裕やくつろぎを保っている。が、パウエルの場合はそうでない。といっても、技術が足りないから指が回らない、ということではない(「崩壊」以後、53年以降のパウエルではそういう無残な姿も何度も聴かれるわけではあるが、50年前後の彼は全く違う)。完璧な技術を持った者が、自らの限界に挑戦し続けているのが、その緊張度の高さの由縁である。比較するとしたらホロヴィッツくらいしかあり得ない。

ザ・ジニアス・オブ・バド・パウエル+2

ザ・ジニアス・オブ・バド・パウエル+2

ブルーノートの第1集に収められた「ウン・ポコ・ロコ」におけるマックス・ローチとのインタープレイは、ジャズの一つの極限である。私が聴いた限りでは、この曲にはコード・チェンジがないように聴こえる。つまり、ワンコードで、アドリブの極限を追求しているように聴こえるのだ。こうした試みは他にあまり例がないように思える。

チャーリー・ミンガスは、彼のアルバムに寄せたライナーノートの中でテイタムと比較しつつ、パウエルを天才だと言っている。「天才」というような概念を無批判に援用して良いかどうかは疑問だし、テイタムはパウエルとは違う平面にいるのだから、テイタムを貶めつつパウエルを評価するといった姿勢にも同調できないが、しかし一面の真実があるとも思う。それは、パウエルが或る種の「現代性」を体現していたという意味で、である。

Amazing Bud Powell 1

Amazing Bud Powell 1