つらつら考える3

バド・パウエルチャーリー・パーカーといった純粋なビバップに特異なことは、後のファンクのような「黒っぽさ」=黒人らしさという虚構と徹頭徹尾無縁であることだ。ビバップは、一つのデフォルメであり、或る種の極限の追求である。

スイング・ジャズが娯楽であるとしたら──尤もこうした言い方にも留保をつけなくてはいけなくて、例えばデューク・エリントンカウント・ベイシーらがどうか、ということなども考えなくてはいけないのだが──ビバップは「修行」である。そしてそうした姿勢は、ハード・バップやファンクにではなく、フリージャズに継承されたといえる。

ハード・バップやファンクの意味は、ジャズが「修行」から再び娯楽になったということである。例えばアート・ブレイキーの『モーニン』の世界的ヒットなどがそれを表象している。ビバップは、当時の批評家や聴衆に理解されなかったのだが、それはジャズそのものの危機でもあった。つまり、20世紀アメリカの「商業音楽」という部分が問題化されたといえる。それを表象するのが、セロニアス・モンクの歩みである。長らく売れずにいた彼がブレイクする1957年──『ブリリアント・コーナーズ』や『モンクス・ミュージック』が発表された年でもある──は、ジャズそのものの頂点でもあった。

セロニアス・モンクビバップに分類するのは誤りだとよく言われるし、それは正しいだろう。が、私はビバップ革命と相関的なものとして、モンクの特異な音楽表現を看做している。私は、例えばガレスピーのデフォルメされたトランペット吹奏にモンクとの親近性を聴き取る。

モンクは、リズム、メロディ、ハーモニーの全てにわたって既成のジャズの美学を揺り動かし、壊乱させた。彼の特異な奏法で印象的なのは、減5度(これはオクターヴの真ん中の音である)や短2度の集中的な使用である(これはプレステッジ時代、『セロニアス・モンク・トリオ』に著しい)。この不協和音は、当初人々の耳には快く響かなかったが、1957年の段階でそれがブレイクする。セシル・テイラースティーヴ・レイシーといったフリージャズの人々がモンクからインスピレーションを得ていたのは当然である(モンク自身はフリージャズに対して否定的だったにせよ)。モンクがもたらした音楽的拡張をさらに押し進め徹底化する運動としてフリーはあったし、ゆえにそれは大衆的なものとならなかったのである。

Moanin

Moanin

これと、

ブリリアント・コーナーズ

ブリリアント・コーナーズ

これ。

モンクス・ミュージック

モンクス・ミュージック