権力志向とフェティシズム

Q-NAMは人間本性を変えることなく、社会変革をしようと志す運動だった。つまり、欲望のままに自然に振る舞っても、いつの間にか倫理的になってしまうような仕掛けをつくろう、としたのだ。それがLETSとくじ引きだった。

お金が欲しい、という人間の欲望を変えることはできないが、LETSを導入することで資本蓄積の動機をなくすことができる。権力志向という人間性を変えることはできないが、くじ引きをすれば権力が固定化されなくなる。それがQ-NAMの建前だった。

700人以上の人を巻き込んだQ-NAMの実験は、今の時点で客観的に見ると、ほぼ完全に失敗に終わったと見て良いと思う。Qは細々と存続しているが、NAMは惨めに潰れ、運動の再建など影も形もない。1月31日までに何かが起こる予兆などない。

で、凡庸な日常生活に戻ってきたわけだが、Q-NAM体験以前と以後で、違いもある。国家と資本への対抗的な意志ないし欲望が本性にまで肉化されているのだ。オルタナな交換なり生産なりをつくっていこう、という思いだけは募るばかりだ。実力が伴わないので、なかなか成果はあげられないけれども…。少なくとも僕は、book cafe経営の某氏や著作権専門の弁護士の言い草ではないが、Q-NAMを後50年はやるつもりだ。それは、NAMの理論と実践に拘束される、という意味では全くない。資本と国家に現実に対抗していく運動をつくっていく、ということだ。そのために全力を尽くそう。できることは少ないかもしれないが、死が訪れるまで、まだ時間はたっぷりある。