草の根的な生産と交換

多数多様な無名人(匿名ではないが、著名でもないといった非人称の「人」)の草の根的な生産と交換が、相互扶助のエートスや信頼を醸成することはできるだろうか。Q-NAM問題の最も核心にある問いは、それだ。西部忠は、Qの経済的信用は、無名人間で頻繁に行われていた取引の積み重ねから形成されると考えていた。他方柄谷行人は、自分が『Qが始まった』や『市民通貨小さな王国』を書いたからQが始まったのだと(言い換えれば、特権的で取り替え不可能な、抑圧的な資本主義的市民社会を突破できる卓越した能力の持ち主である自分の「名」の力でQの信用が形成されたのだと)考えていた。根本的な対立は、それだった。