芸音音楽アカデミー 音楽フリースクール基礎資料

ヨーロッパ音楽の歴史の概略
古代
中世
ルネサンス
バロック
古典派
ロマン派
印象派
現代

JAZZの歴史の概略
JAZZの始まり
スイング
ビバップ
ハードバップ
モード
フリー

私達がごく当たり前のもののように前提している、様々な諸条件=音楽的環境の発明
平均律や調性、或いは楽器そのものの発明の歴史

私達の「耳」がそれに慣らされ、形成されてしまっている、種々の音楽的条件
ロマン派

バッハ以前の音楽については、CDなど基礎的な資料があまりない。
cf.古代ギリシアの音楽、グレゴリオ聖歌、バードとギボンズルネサンス音楽

バッハ以降、私達が日常的に自明事として前提しているような、平均律や調性、それに例えば1オクターブを12の音に分割する考え方などが生まれた。
それからズレ、はみ出す要素もある。
cf.ブルースノート

古典派の作曲家(ハイドンモーツァルトベートーヴェン)が、ヨーロッパ音楽の形式を完成に導いた。ピアノソナタ交響曲といった形式が発明され、それに様々な喜怒哀楽の表現が盛り込まれ(例えばモーツァルトにおける感情表現がショパン等ロマン派のそれとは大きく異なることに注意)、所謂「内面」の表現──と私念され仮構されるもの──を充実させてきた。
cf.有名なベートーヴェン交響曲第5番『運命』の冒頭など

ハイドンの音楽は、基本的に整然とした健康な音楽。モーツァルトの音楽には、曰く言い難い微妙な綾がある。ベートーヴェンは音楽表現の可能性を拡大した。

ロマン派の時代…19C。メロディー、リズム、ハーモニーの多様化・差異化・複雑化と、古典的形式からの逸脱・組み換えが大胆に行われる。
cf.ショパンピアノソナタ第2番、リストのピアノソナタロ短調ワーグナーの楽劇(無限旋律)など。

また、ロマン派の時代には、民謡など民族的な表現が盛んに取り入れられていったことにも注意。
cf.ブラームスやリストのハンガリー音楽、ショパンにおけるポーランドの舞曲のリズムの採用(ポロネーズマズルカ等々)、チャイコフスキードボルザークガーシュウィン等々。

メロドラマや通俗映画などで多様される甘い情緒的な旋律も多くはロマン派起源のものである。つまり、私達が自然なものと看做している感情表現や喜怒哀楽などの多くは19世紀のヨーロッパで発明され形成されたものの貧困なコピーであるということが言える。
cf.ブラームス交響曲第3番第3楽章、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、ラフマニノフピアノ協奏曲第2番など

ロマン派の中から、ロマン主義的な複雑化への自己批判が出てきたことにも注意が必要。
cf.ブレンデルポリーニが取り上げている、晩年のリストにおける奇妙に静謐な和声。サティ。

ロマン派に対する全面的な批判と乗り越えは、シェーンベルクによって開始され、新ウィーン学派シェーンベルクベルグウェーベルン)によって遂行された。→無調、12音音楽

作曲をもはや不可能にする、というシェーンベルクの暗い野望とその挫折。
ジョン・ケージの出現と音楽表現の大幅な拡大。

ジョン・ケージは近代西欧の音楽的合理性とは別の原理によって、音楽を組織化し得ることを様々な仕方で示した。インド音楽の参照や生活音やラジオ等の導入、偶然性の導入など。

私達が生きている現代は、基本的には、ケージ以降の時代であると言うことができる。

JAZZの始まり…厖大な黒人奴隷達の存在。彼・彼女らが余暇に、白人らが捨てていたヨーロッパの楽器を手にし見よう見真似で演奏を始めたのがJAZZの起源であると言われている。

CDなど記録が残っているのは基本的には20'以降。
ルイ・アームストロング…最初のジャズ・ジャイアント。ジャズトランペットの奏法を確立。

スイングジャズの基本的性格
アメリカの国威発揚的な性格もある(例えば、第二次世界大戦下の『Vディスク』の制作など)。
基本的には、白人達が踊るための音楽だった(ビバップは踊れない)
cf.菊地成孔東京大学アルバート・アイラー

カウント・ベイシー
デューク・エリントン
ベニー・グッドマン
→スイングジャズを確立した人達。ベイシー楽団の人達は、楽譜もろくに読めない人達であったと言われている。楽譜もなしで、簡単な打ち合わせだけで驚異的なスイングする演奏を生み出した。エリントンのスタイルは「ジャングル・スタイル」と呼ばれているが、それは既にジャズの起源的なものとは切断され、洗練されたものである(想像されたアフリカ性。cf.『東京大学アルバート・アイラー』)。ベニー・グッドマンのバンドは当時盛名を誇っていたが、唯一の黒人バンドマンとしてピアノのテディ・ウィルソンを雇い入れ勇気があると言われた(それだけ当時は黒人の表現が抑圧されていたということ)。

スイングにおいては、基本的に私達の多くに「自然」と感じられるコード進行やメロディーが採られ、4ビートが基本である。即ち、スイングジャズは基本的に古典派-ロマン派的な枠組みの中にあると言える。

ビバップ「革命」
チャーリー・パーカー
バド・パウエル

ビバップの基本的な性格
既存のスタンダードのコード進行の上に、全く原曲とは違った、奇抜なメロディーを載せた(「ハイ・ハイ・ザ・ムーン」のコード借用など)。
リズム、ハーモニー、リズム、コンセプトのあらゆる面において、表現の拡張を図った。
純粋な芸術ではなく「芸能」に近いダンス音楽だったスイングから、鑑賞目的に音楽へと移行した(ビバップでは複雑過ぎて踊れない)。

ビバップを担った人達…アメリカの戦争に積極的に荷担しない、「やる気」のない薬物中毒・精神病・アル中患者達。

ビバップは当時なかなか流行らなかった。人口に膾炙しない。
その理由
→奇抜で複雑なコード進行やメロディー、意表をつくアクセントなどが当時の大衆に耳慣れないものだった。

パーカーの革命性・天才性
パーカーについては、彼のアドリブを採譜した譜面が出版されている。CDを聴いてみると、最初はどこが凄いのかなかなか分からないが、聴き込んでいくと一切「無駄」のない洗練された演奏スタイルが無比であることが理解できる。
坂田明三宅榛名の対談では、パーカーがモーツァルトに、コルトレーンベートーヴェンに擬せられている。その比喩の妥当性…パーカーもモーツァルトも、微妙な綾のような音楽性が他に求められない魅力になっているし、その魅力というのはなかなか素人には分かりづらい側面を持っている。

ハードバップ
ポピュラリティを獲得した。その理由
→黒人らしさを前面に出した、「ファンキー」で一度聴くと忘れられないメロディーの創出。例えば、アート・ブレイキーとジャズメッセンジャーズの「モーニン」が典型。
ハードバップにおける黒人らしさの強調は、ロマン派の音楽が民謡など民族的な表現を摂取していったことと類比的に捉えることができる。
→私達が「ジャズ」と言われて思い浮かべるのは、先ずこの範疇の音楽。アート・ブレイキーソニー・ロリンズクリフォード・ブラウンなど。

ハードバップはJAZZにおけるロマン派的なものの発露であると言える。私達の感性=美意識を基本的に規定しているのは、この時期の音楽の表現である。

モード
マイルス・デイビス

フリー
ジョン・コルトレーン
エリック・ドルフィー
オーネット・コールマン
アルバート・アイラー
セシル・テイラー
ティーブ・レイシー
山下洋輔
坂田明
→それぞれの仕方で、コードからの解放を目指し、実現した。
cf.中上健次『破壊せよ、とアイラーは言った』、間章の諸著作

ジャズピアノの歴史
黎明期…ピアノはリズムセクションの一部として、和音を叩くだけで、ソロは取らなかった。
「ジャズピアノの父」アール・ハインズの登場…ルイ・アームストロングのトランペットを右手に移した「トランペット・スタイル」と呼ばれる奏法を確立した。ハインズの影響下にあるピアニストとして、歌手としても大成したナット・キング・コールがいる。ハインズとは異なったピアノスタイルの持ち主としてファッツ・ウォーラーがいるが、ウォーラーの影響下にはアート・テイタムがいる。
バド・パウエルによるモダンジャズピアノの確立…パウエルは左手を最小限にし、右手のアドリブを先鋭化し発展させたが、テイタムから、右手だけのピアニストなどと揶揄されもした。
セロニアス・モンク…ハーモニーの拡張、短2度や減5度など不協和音の多用。特に40'-50'の表現に多く見られる(『セロニアス・モンク・トリオ』が典型)。
ビル・エヴァンス…ハーモニーの拡張。ドビュッシーなど印象派の影響が指摘される。

パウエル以前では、左手でストライドしながら右手でメロディーを弾く伝統的なスタイルが一般的だったが、パウエル以降、極端にデフォルメされ原曲から離れたアドリブソロが創出されることになる。他方テイタムなどは、基本的に原曲のメロディラインを崩さず、ハーモニーなどを多様化させるという手法を採用していた。

ハーモニーの拡張は既に、アート・テイタムなどが実現していたが、モンクやエヴァンスによってさらに先鋭化されることになった。

中間派
オスカー・ピーターソン
オスカー・ピーターソンのピアノは、テイタムと比較すると若干単純・単調だが(例えば不協和音や複雑な和音ではなく、オクターブでのスケールの上下で間を埋めていたりする)、その分明快で万人受けする。コマーシャルとの批判・揶揄もあるが必ずしも正しくない。
オスカー・ピーターソンビバップへの嫌悪…パーカー、ガレスピー、パウエル、モンクらが遂行したビバップ「革命」に対しピーターソンは懐疑的だった。ビバップの音楽家は原曲のメロディを切り刻んで断片化してしまうとの理由からである。ピーターソン自身は、それほど原曲を遊離しない、息の長いメロディラインを構築した。また、ピーターソンはモンクの奏法を軽蔑していた。
ピーターソンはビル・エヴァンスハービー・ハンコックらから影響を受け、バラードの奏法などを発展させた形跡がある。
オスカー・ピーターソンの真骨頂はソロにではなく、ミルト・ジャクソンディジー・ガレスピーと共演した演奏にある。音楽的に豊かな表現が、十分な技術の裏付けをもって実現されている。
しかし、テイタムやピーターソンなどヴァーチュオーゾ型のピアニストは、印象・記憶に残る作曲を残していない。感銘深い曲を書いたのは、セロニアス・モンクマル・ウォルドロンジョン・ルイスら訥弁系のピアニスト達だった。
オスカー・ピーターソンは安定的である。それに対しバド・パウエルの場合、彼の真価が発揮されたアルバムは、ごく若い頃の数枚しかない。→晩年のパウエルの音楽の貧困化・崩壊と新たな可能性の萌芽という問題がある。