体調不良…

多忙過ぎ、過労と風邪が重なって、昨日から体調が悪い。電車内でも眩暈とふらつきが酷く、頭痛もする。今日も、具合が悪く起き上がれない。悪夢オンパレードにも悩まされている。

とりあえず、昨日の報告から。

昼間で具合が悪く寝ていたが、9条改憲阻止の会のビラ撒き行動に参加するため、3時に有楽町マリオン前へ。1時間余、ビラ撒きをして、喫茶店で交流。

その後、6時半に表参道の東京ウィメンズプラザに行き、NAM資産に関するフリートークに参加、田中さん、阿部さん、浅輪さん、関本さん、松村さん、根本さんに会う。NAMの資産についてのNAM会員の意見や、世界社会フォーラムなどについて意見交換する。

少し飲んで、帰宅。風呂にも入らず、薬も飲まず、倒れ込むように眠る。

今朝。体調が悪く、起き上がれず、食事も摂れない。今まで横になっていたが、お茶がないので買いに行かなければならない。また、夜にはファンキー・シーズのライブがある。明日もボランティアでライブがあり、また持たざる者の会合がある。来週も、予定がぎっしり詰まっている。だが、私はもともと体力があるほうではないし、バテているというのが正直なところ。

電車内ではCDウォークマンで、オスカー・ピーターソンサラ・ヴォーンカウント・ベイシーを聴き、至福の時を過ごす。音楽って、ジャズって、本当に素晴らしいと思う。

発見したのは、オスカー・ピーターソンのバラードの奏法に、ビル・エヴァンスハービー・ハンコックの影響?があったのか、進化(私から見ての)があったのではないか、ということだ。

岡崎さんは、オスカーは「手が大きい」だけだと切って捨てた。だが、私にはそうは思えない。『ソロ!!』における「アイ・シュッド・ケア」の演奏などがすぐ思い浮かぶが、オスカーの演奏には、音が多過ぎるというか、弾き過ぎという印象があった。テイタムはヴァーチュオーゾでも、余分な音があるという印象は全くないのだが、オスカーの場合、余計な装飾的フレーズを挿入し過ぎてゴテゴテしているという印象があったのだ。だが、昨日聴いたアルバムでは、抑制的で表現的な素晴らしいバラードの演奏を聴かせていた。アップテンポの曲はそれはそれで素晴らしいし、スローテンポのバラードもものすごく完成された演奏だった。オスカーは侮れない、と思った。

アップテンポの曲のほうでは、バド・パウエルと比較したくなった。バドが典型的だが、ビバップのクリエーター達は破滅的な人生を歩み、絶頂期も短い場合が多い。そしてバドの場合、若い頃の演奏は神がかり的だけれども、速いフレーズなどでは一杯一杯という印象がある。だが、オスカーは、どんなに速くても余裕がある。

それと、テイタムと比較すると、テイタムの場合単音の速いパッセージが特徴的だが、オスカーは、和音でがんがん弾いていく和声的なアプローチが特徴的だと思った。

前の日の日記でも書いたが、私は高校生の頃は、バドやモンクなどだけが好きで、オスカーの明快な表現は食わず嫌いしていたところがある。しかし最近は、オスカーのような表現もそれはそれとして評価できる、と感じている。私も年を取ったし、心の持ちようも変わった、ということなのだろう。