死と性と思考

超多忙で超充実した、超絶・激烈・悶絶の日々が続く!

今日は芸音が休みなので、高田馬場のCD屋に寄ってコルトレーン、ロリンズ、それにシェーンベルグを見る。それから、正午に渋谷ハチ公前へ。9条改憲阻止の会のビラ撒き行動に参加するためだ。

9条改憲阻止の会は、おじいちゃん・おばあちゃんが街頭に出てきた、という感じ。ビラにある「孫に憲法9条を残そう」というキャッチフレーズが笑える。ビラはけは悪いが、昨今政治的なビラに対する反応はまぁこんなもんだろうと思う。障害者の人などが、ビラを食い入るように見つめているのが印象に残った。

1時間ほどビラを撒いた後、曙橋の事務所に移動して、チラシ折りと封入の作業をする。メールなら十分で終わることが、郵送だと何時間も掛かる。しかも、切手代も馬鹿にならない。大変だなと感じる。作業をしながら、某個別指導塾に勤めていた頃は毎日こんな単純作業に追われていたな、ということをふと思い出す。元赤軍派議長の塩見孝也さんもいるが、『マルチチュード』(塩見さんは『情況』に書評を寄稿する予定だという)や孫子の話などとても刺激的だ。塩見さんの説では、孫子の戦わずして勝つというのは非暴力の源流なのだそうだ。岡崎さんのネオコン孫子理解の限界についての指摘(孫子は究極的には戦争ではなく外交で勝つことを説いている)を思い出した。

6時頃、曙橋〜新宿〜代々木と移動し、早稲田のフリースペースあかねのオーナーである新井さんが経営するあかね2へペペ長谷川さんなどあかねスタッフ数名と共に訪れる。新井さんからは、私達が共同経営なのはいいが、究極さんの代わりに一人代表者を決めて、その人に連絡などをするようにしてほしいと言う。それで、私が暫定的・仮の代表者に立候補した。

あかねの孕むいろいろな問題性などについても話し合った。なかなか解決が見えないが、地道にこつこつ取り組むしかないと思う。10/27(金)に、臨時の拡大スタッフ会議を開くことが決まった。

新井さんが作るカレーを食べたが、とても美味しかった。これからも連絡を取り合う約束をして、別れる。

帰りの道すがら、あかねスタッフの間で精神病や嗜癖をどうすればいいかを話し合う。私は、ヨガや気孔、整体などで養生をという神田橋條治の『精神科養生のコツ』を紹介する。だが、精神病や嗜癖で苦しむ人は生きていること自体が辛いというのもよく分かるので、私自身どうしていいか分からない。ただ、人情として理屈抜きに死んで欲しくない、という気持ちがあることはどうしようもない。私達他者に出来ることはただ祈るくらいしかないが、どうにか生き延びて欲しいと思う。

帰りの電車内で、もし親が急に亡くなったら、私はどうなるだろうかと不安に考えた。やはり、死ぬしかないのだろうか。そう考えて、正直怖いと感じた。死ぬのは怖い。

それと、旅行先で出会った女の人に淡い恋心を抱いたことを思い出し、困惑した。オカマのリンダちゃん、異性愛に転向??? なんてね。私は性については禁欲主義や抑圧に反対で、アナーキストたらんとする者ではあるけれども、自分自身の性欲についてはやはり恥ずかしいし、よく分からない面も多々ある。どういうきっかけで、誰に対して欲望を抱くか、というのは自分自身分からないことであり、謎だと感じている。結局のところ、私にはセックスのことがいまだによく分からない。私自身にとって謎であり、どうしようもないものとしてある。

散漫な書き方になって恐縮だが、電車内で、究極さんがネット詩人達の言葉にこだわって議論していたことを思い出し、自分はネット詩人ならぬネット哲学者だと思う。

電車内でオスカー・ピーターソンを集中的に聴き、侮れないなと痛感した。素晴らしい演奏が沢山あるのだ。私も高校生の頃はパウエル、モンクなどキビしい演奏しか受け付けなかったが、今では素直にピーターソンもいいものはいい、と思える。岡崎さんはピーターソンは「手が大きい」だけだと切って捨てたが、ジャズを自ら実践する者としてはその美的判断には同意できない。ピーターソンはコマーシャルかもしれないけれど、カーメン・キャバレロリチャード・クレイダーマンなどとは違い、一個のアーティストとしての尊厳を示している。私には岡崎さんの見方はスノビズムに思えるな。

今日は動き回って本当にくたびれたので、乱文で失礼する。これからもヨロシクね。