吉本隆明

かつて吉本隆明の思想が学生運動家などに熱狂的に受け入れられたのは、「言葉」の魔術、呪術によるとしか言いようがないだろう。かれの思想は決定的に誤っている。そもそも、「共同幻想」という概念が曖昧である。後年の吉本は、国家は一種の宗教である、というような言い直しをしているが、そんなことを言っても何も解明したことにならないと思う。また、共同幻想(国家)と個人幻想が「逆立」する、対幻想(家族共同体)が「見事な橋」をなすという主張にしても、全く論証されていない。国家と個人との関係にせよ、従属から反抗に至るまで様々であろうし、家族のあり方もそれぞれだとしか言えないであろう。

家族という実体的な契機に対抗の萌芽を見出す吉本は、転倒したヘーゲリアンである。ヘーゲルにあっては、家族から国家へと展開(上向)していくのに対し、吉本の体系では家族という具体的な現実が個々人が国家に従わない根拠となる。しかし、本当にそんなことが言えるのか? 私は、資本・国家・ネーションの同時揚棄を目指す柄谷行人を支持する。

吉本については、田川建三の見事な批判書がある。明快で、且つ読み応えがある。