戦争反対と他者への想像力

戦争反対の思想はそれほど古いものではない。いかなる戦争にも反対だという考えは、遡っても、二度の世界大戦を経た前世紀に生まれたものではないか。それまで、戦争は、自然なものだとか、必要悪だとか、仕方がないものだと考えられたり、或いは帝国主義戦争は良くないが革命戦争なら良いと考えられたりして、戦争一般に反対する論理ではなかったはずだ。私の知っているかぎり、あらゆる戦争に反対という論理を明確に掲げそれを論証している書き手は、ダグラス・ラミスくらいなものだ。ソ連・東欧旧社会主義圏の崩壊の後、世界は急激にアメリカの覇権が進むと共に不安定化したが(「新世界無秩序」)、911同時自爆事件と「報復」先制攻撃以降、特に若い世代の間で反戦の気運が高まった。

戦争に反対する根拠は、想像力にある。アダム・スミスは単なる市場放任の経済学者ではなく、同感(シンパシー)を基礎概念とする道徳哲学者でもあったとされている。そのスミスが次のような議論をしている。遠方の地で無数の無辜の人々が殺戮されると知っても私は動揺しないだろうが、自分の小指が明日切り落とされると知ったら動揺するだろう、と。確かにスミスが言うのも尤もであり、日常生活感覚からして理解できるものだが、しかし、遠方、例えばイラクレバノンパレスチナでの無辜の人々の死や拷問に対する想像力、生々しく目に見えるものではない現実への想像力こそが、そうした遠隔地での戦争に反対する根拠だと思うのだ。

イラク戦争開戦時には、それまでデモになど行ったことのないような3万人以上の市民が立ち上がり声を挙げた。アメリカの暴挙は阻止できなかったけれども、このことはやはり希望であると思う。かれらは、今どこにいて、何をし、何を考えているのだろう? 今なお戦争に反対しているのだろうか? それとも、考えを変え、戦争は自然の摂理だとか、人間本性からして必然だとか、仕方がないなどと考えるようになってしまっただろうか? それは各人各様だとは思うが、ともかく、今世紀の残酷な経験を経て、少しずつ世界平和に向けて漸進していくことを願うのみだ。