プレカリアート

MLで議論をして、とても面白かった。とはいえ議論しながら自覚したのは、自分が基本的に落伍者・失敗者だということ。大学でのサバイバルに失敗し、落ち零れた存在だということ。何の資格もないし、前提も権威もない草の根の存在だということ。人からごみとか屑と罵られる存在だということ。

でも私は、大学院を辞めた時、在野で哲学・精神分析の研究を続けるぞと自信満々に決意していたのだった。とはいえ、実際には難しくて、頓挫してしまったのだけれど。ドゥルーズ=ガタリの用語でいえば、私は「公的教授」じゃなく「私的思想家」になりたい、ということなのだ。

言い換えれば、精緻だが不毛な文献学的研究をするのではなく、ダイレクトに社会・現実の変革に繋がる言説(意味)の生産をしたい、ということ。運動や活動に関わり、そのなかで言葉を紡いでいきたいということ。実際に変化を起こしたいということ。

青空文庫を覗いてみたら、芥川が面白いことを言っていた。キリストは「ジャーナリスト」だというのだ。民衆に開かれた教え、ということだと思うけれども、その意味では私も「ジャーナリスト」になりたいと思うのだ。

歴史、社会のダイナミズムに丸ごと身を投げ出して、変革に従事したい。そんな希望がある。そのために、「道具箱」(フーコー)として理論を活用したいと考える。科学主義ではなく、倫理的・美的パラダイムに転換し、「自己の声」(ガタリ)に耳を傾けたいと思う。