連日の発作の中の小さな幸せ

連日、メンヘルの発作が酷い。朝起きられないし(薬を減らしているのに)、ものすごく辛い。お店も開けているのか閉めているのか分からないような状態だ。

それでも、芸音カラオケの会員さんがお味噌を一つ買ってくれたし(これが利益の発生する初めてのお客さんだった)、両親から深く強く愛されていることも実感出来る。

母親が複数の精神病院に相談の電話を入れていたが、今日診ていただけるところはなく、明日、転院の可能性も含めて病院に行くことになる。

親と一緒にいて幸せだと強く感じる。生きている間は、この幸せを大事にしよう、と思う。アジア・アフリカなど第三世界には、「奴隷」に等しい生活を送っている無数の人達がいるわけで、その人達に比べれば、「先進」国内の負け組である私も、多くの自由と選択可能性を持っていることになる。アンダークラスとはいえ、犯罪を余儀なくされるまでに追い込まれているというアメリカのそれのような生活レベルにまでは、「今のところ」至っていない。そのことに素直に感謝したい。

負け組の生、という題名で日記を書こうと思っていた。私が決定的に駄目になった分岐点は大学卒業時、企業から送られてきた無数の手紙に一切目を通さず大学院進学を志した時だったが、もともと駄目だったのだ、負け組になる「宿命」だったのだとも感じる。このところ「ネオリベ」批判の本を読むことが多かったので、負け組の生として己の生を把握し肯定しようと思ったのだ。

しかし、今日は、負け組とはいえ幸せを感じる余地がまだ残されているということを理解することが出来た一日だった。発作による消耗の後の虚脱・小康状態、多幸症的な時期かもしれないが、素直に喜びたいと思う。