ひっぴい♪♪の主張

http://barairo.net/works/TEXT/terolist/index2.html

空爆や海外派兵といった「分かり易い戦争」に反対するだけの、シングルイッシュー(single-issue)の「戦争反対」はやめよう。グローバリゼーション、新自由主義経済、民族差別、植民地支配、性暴力、女性差別ホモフォビア、障害者差別、そういった本当に無数の問題と矛盾を抱えた私たちが今生きる社会全体を本当に変える、私たちの生き方と文化を変える、そういう意味での「戦争反対」を、やろう!

私も同感。ただ、ひっぴい♪♪が言うのとは逆の意味でだが。

http://nam21.e-city.tv/principles.html

先進資本主義国で反システム的運動は続いているが、「全体化」、すなわち中心化や代表制を恐れるために、さまざまな運動は相互に孤立し、且つ内部において分裂している。その理由は明らかである。たとえば、女性、同性愛者、エスニック・マイノリティーなどの運動は、それぞれ、一つの主題のもとに集まっている。それらは旧来の生産関係や階級関係を優位におく運動に対して、それらに還元できない次元を取り上げた。しかし、個々人はあくまで様々な社会的関係の次元に生きているのであって、それらを還元することで成立した運動には、捨象されたものが諸個人を通して別の形で回帰してこざるをえないのである。そこで、一つの次元での同一性を基盤にした運動が、それが括弧に入れた別の次元における差異の回帰によって、内部的対立に追い込まれる。また、多くの地域で、消費者運動は労働運動と対立している。そして、これら、相互に対立し孤立する分子的な運動を統合するのは、結局、社会民主主義的な政党なのだ。かくして、中心化を拒否し、代表されることを拒否した運動は、国家権力の一環である政党に「代表」されるか、さもなければ、ローカルな反抗にとどまるしかない。いいかえれば、それは、資本主義=ネーション=ステートに回収されてしまうか、それをそのまま放置するものとなる。

アカーの運動などにも、同様のことが言えると思う。同性愛という「一つの主題のもとに集まっている」かれらは、同性愛以外の社会的課題に取り組むことがほとんどない。というか、同性愛者の運動が同性愛者のアイデンティティを核に結集する路線を選ぶなら、それ以外の課題を持ち込むことは事実上不可能に近くなるのだ。だから、ひっぴい♪♪が言うように、アイデンティティではなく課題別に集まる運動のアソシエーションが必要になる。

http://projectq.barairo.net/modules/about_projectQ/

属性で集まる(「ゲイのグループ」「女性のグループ」など)のではなく、ある課題(「性的な暴力に取り組む」など)のために、関心のある人が集まる会です。