ユースフォーラム

次のようなメールをメーリングリストに送りました。

初めまして。

今日、船橋での会合に初参加させていただいた攝津正と申します。船橋市二和東在住の30歳です。

フリーター・ニート・メンヘラーの自助(相互扶助)・自立運動に興味があります。
先月、会社を解雇され、自宅店舗でスローなフリースペースを開くことを夢見ています。

今日の会合の感想を一言だけ書きたいのですが、例えば「ニート」というような言葉が冗談めかして使われていましたが、当事者のものとして使っているのか、当事者がそこにいるかもしれない、という配慮があって使われていたのか、という点に疑問を感じました。私は「自称」、自営業者だと言い張れるかもしれませんが、実態はニートです。ニートの当事者がその場に参加してくるかもしれない、参加してきたらどうするのか、ということは場の主催者の方々は考えておられたのでしょうか。確かにニートというのは社会的言説が作り出したものだとも言えるわけですが、ニート的現実というのも確かにあるわけです。それを否定することはできないと思いますし、そこに眼を向けないなら「ワカモノ」の問題性も把握できないし、それに取り組めないと思います。

また、会合で一緒になった若い女の人が、フリーターは「すき好んで」保証のない境遇に身を置いているのだから自己責任だ、と私に反論しましたが、その場では私は沈黙していましたが、21日にもいらっしゃる杉田さんのご著書にもあるとおり、フリーターという立場に立つことには「自己責任」が確かにあるとともに、現存の資本主義の構造自体がそのような流動的な労働力を要請し必然化している、という側面もあるわけで、フリーターが「強いられた」低賃金労働力である点に眼を向けずして「ワカモノ」の自助・支援運動などあり得ないと思わざるを得ませんでした。

今日は話の流れでそういう雰囲気になればPAFFの紹介もしたいと思っていたのですが、そういう雰囲気でもありませんでした。

PAFF:
http://a.sanpal.co.jp/paff/

初めての投稿が批判めいたものになって恐縮なのですが、21日の討議では、現在の資本主義の状況(新自由主義・グローバリゼーション)が「ワカモノ」の生き方に及ぼしている否定面にも眼を向けていただきたい、また当事者主権ということをもっと重視していただきたい、と強く思い、メールをお送りすることにしました。「ワカモノ」と一括りにすることで、見失われてしまう差異(経済的・社会的境遇の差異)が確かにある、と思います。私は、だめ連(あかね)などにも関わってきたので、「だめ」と社会から烙印を押され自分自身もそう思い込んでいる存在、一旦挫折した人間や壊れてしまった人間の再生・回復に関わっていきたい、と考えています。

それでは失礼いたします。