あかねに

洋平君を送る会に行ってきました。自分が逝った時にこれだけ追悼してくれる人がいるだろうか、ということを考えました。洋平君とは親しかったわけではなく、実感がないというのが正直なところだけれど、若くして死を選んだかれの自己決定を尊重し、生を選んだ者として無様でも生きていきたいと思いました。

「平時」は死の自己決定権みたいな言説を偉そうに言っていたりしても、いざ身近な人が亡くなってみると、やはり自殺は…というような陳腐なヒューマニズム的言説しか言えないのが情けない気がします。でもそれも含めて自分もただの人間…。洋平君の冥福を祈ります。

死にたいと思っていたことがあった。しかし、どうしても死ねなかった。そうこうするうちに、知人が自殺した。24歳の若さだった。死ぬ、死ぬと言いながら死なない30歳の私は、自分が欺瞞的な生き残りだと感じた。

正直、環境・状況は厳しくなってきているし、これからももっとそうなると思う。私だって自ら死を選ぶことがないとはいえない。そうはいっても、多くの人々との交流・交友によって支えられているのは事実だし、そのお蔭で死なずに済んでいる。そのことに感謝したい。