現実主義のすすめ

経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか

経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか

p45-47

 「とにかく、この二十世紀の歴史の記録は、一つの現実です。
 これから安全保障の政策を考えるとき、私は現実主義をすすめたい。特に安全保障を考えた場合、現実主義者になりたいのです。夢のようなことではなく、現実的に安全な世界を作らないと意味がないからです。そのための第一歩はまず現実を見ることです。何が現実かというと、この場合は歴史の記録が第一のものでしょう。
 百年間、やってみたわけです。国家に人を殺す許可を与えた結果、その許可を使って、国家はこれだけの人を殺した。考えてみれば当たり前かもしれない。「殺していい」と国民が言ったから国家はたくさん殺した、というわけです。その歴史を認め、考え直すのが本当の現実主義ではないか。
 別の言い方でいうと、今の日本のいわゆる「現実主義」の政治家が、軍事力を持たなければ安全保障はできない、軍事力を持っていたほうが社会の安全は守られると言っているけれども、でもその根拠はどこにあるのか? 証拠は? と聞きたいのです。頭のなかの話ではなく、ホッブスの本を持ち出すのでもなく、歴史の記録にある証拠はどこにあるか、ということを聞きたい。その証拠を見せてほしい。
 日本の歴史で考えてみましょう。日本政府はいつ一番軍事力を持っていたのか。軍事的にもっとも強かった時代は何年から何年までか。そして暴力によって殺された日本国民の数が一番多かったのはいつか。まったく同じ時代です。そういうことを考えるのが現実主義ではないだろうか。今度は大丈夫だ、という根拠はどこにあるのか。
 その文脈のなかで考えれば、日本国憲法第九条はロマン主義ではなく、ひじょうに現実主義的な提案だったと私は思います。それを考えたのはマッカーサーと幣原だと言われていますが、マッカーサーと幣原はアナキストではないし、ユートピア主義者でもない。とても現実主義的な政治家、あるいは軍人であった。
 二人とも、一九四五年の日本の現実を見て、判断したのではないでしょうか。彼らが第九条を考えたのは、世界がまさに核の時代に入った時であり、場所でした。いつ? 一九四五年。どこで? 日本。彼らはその時、その場所で第九条を考えた。広島や長崎まで行かなくても、あの時の東京を見るだけで分かった。この時代に、国家の軍事力だけで国民の命を守ることは、もう不可能だということ。軍事力をたくさん持っても、こうなる、これはひどいと思ったのではないか。マッカーサー職業軍人であったからこそ、東京を見ても分かるはずだった。その時の破壊の規模の現実に基づいて、第九条は書かれたのではないかと思います。
 ところが、マッカーサー自身、それをすぐ忘れてしまった。すぐ普通の「常識」に戻ったわけです。朝鮮戦争に行ったりして、以前の論理に戻った。もし憲法が一年間後回しになっていたとしたら、第九条はなかっただろうと思う。だから、日本国憲法ができた歴史的瞬間というのは、ひじょうに重要だと思います。その瞬間、見えたことなのです。一年経って、マッカーサーは普通の考え方に戻ったけれども、遅かった。もう憲法はできていたのです。できてしまえば取り消せない。そう簡単に変えることはできない。第九条はそういう存在だと思うのです。