JUNKの文法

友人・矢崎の書きかけの草稿。

JUNKの文法
矢崎 衣良

1.
交換価値をもはや持たず、使用価値のみを持つ労働力商品━━常に既に売れ残っており、資本の側から「要らないよ」と三行半を突きつけられるとともに、労働の側としても「労働のエートス」を崩壊させている、そんな存在。いわゆる「先進諸国」の「支配的」現実(しかしそもそも、「支配的」でない現実などあり得るのだろうか?)の中で、そんな存在に焦点が当てられ、あたかも異常事態であるかの如く「診断」されることがままある。そのような「二重の意味で━━資本側から見ても労働側から見ても━━クズである」存在には、時に就労が強制され、時に治療が強制される。しかしそのような存在━━われらJUNKこそ、現代生活の風景の基盤をなしているのではないだろうか? われらJUNKの、もはや他者にとっても自己にとっても無用となった身体の集積こそ、高度に発展したといわれる資本主義の現段階を特徴づけるものではないだろうか?

2.
JUNKとは何か━━自らの扶養家族や子どもらのみならず、自分自身の身体の再生産にさえ齟齬をきたし、決定的に「遅延」してしまうような存在。「労働力商品」からさえ零れ落ちてしまうような、何やら得体の知れない存在。絓秀実の言う、「決して能動態になり得ない何か」(マルチチュードの裏面?)。それは岡崎乾二郎が芸術を定義づけて言う「『売れ残り』の商品━━売りにだされているが、いまだ買われていない商品━━」にとても似ているが、決定的に違うのは、JUNKの側が徹底的に世俗的であり汚れてしまっている、ということだ。それはアウラを持たない。文字通りゴミのように打ち捨てられた、或いは打ち捨てられようとしている何ものか━━それがJUNKである。

3.
JUNKの或る者らは、親世代の財産に寄生することでその日その日を凌いでいる。しかし、それもいつまでも続かない。親世代の財産を喰い潰した後どんな事態になるのか? 杉田俊介が予測しているような、少なからぬフリーター層の路上生活者化という事態が待っているのか?(http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20050911/1126414589 参照。)