第9条は読み間違われやすい

C・ダグラス・ラミス C. Douglas Lummis
「第9条は読み間違われやすい」
(『やさしいことばで日本国憲法』マガジンハウス、2002年より)

【抜粋】

第9条
わたしたちは、心からもとめます。
世界じゅうの国が、
正義と秩序をもとにした、
平和な関係になることを。
そのため、日本のわたしたちは、
戦争という国家の特別な権利を放棄します。
国と国との争いを解決するために、
武力で脅したり、それを使ったりしません。
これからは、ずっと。

この目的をまっとうするために、
陸軍、海軍、空軍そのほかの、
戦争で人を殺すための武器と、
そのために訓練された人びとの組織を
けっして持ちません。
戦争で人を殺すのは罪ではないという特権を
国に認めません。

第9条は、おそらく、これまでに存在したどの文書にもまして読み間違われてきた。言語的にはなにもむずかしいことはない。子どもでも理解できるようにわかりやすく書かれている。なのになぜ、これほど多くの政治家や法学者が理解できないのか。その理由は、彼らがそのことばを理解できないのではなく、ことばがそのことばのままを言っている、ということが信じられないからだと思う。
もし第9条が、郵政省は軍隊を持てないとか、地方自治体には戦争をする権限はないなどと言っているのだとすれば、だれでもこの意味を理解するだろう。中央政府は軍隊を持てず、戦争をする権限がないと言っていることについても、理解はなにもむずかしくないはずだ。このくだりを読み間違える人びとは、このことばにその意味するとおりのことを言ってほしくないいか、このことばが意味することを言うのはそもそも不可能だと思っているか、のいずれかだ。だから、これは別のことを言っているのだと主張する。たとえば、「自営の場合を除く」とか、「集団的自衛のみが許されていない」とか、「GNPの1%以上を防衛に費やすべきではない」とか。しかしもちろん、第9条にそんなことばは見あたらない。
同様に、「戦力」という簡潔な表現をなかなか把握できない人も多い。先に書いたとおり、この用語の中身を完全にほどいて取り出すことは紙幅にあまるが、この語が意味するのは、戦争の武器(銃、ロケット、爆弾、戦車、装甲車、軍艦、戦闘機、爆撃機など)とこのような武器や設備を使う訓練を受け、規律に服する人びとの組織である。
うまくいけば、この「新訳」によってこれらの読み間違えがむずかしくなるだろう。同時に、第9条を、政府ができるだけしたがう努力をする、願いや理想や切望とする誤読をしにくくするだろう。第9条は願いではない。拘束力を持った実定法である。くり返すが、憲法とは命令であって、願望ではない。憲法は民衆が政府に与えた力、与えていない力を列挙するものだ。第9条は言う。いかなる戦争をする権限も、いかなる戦力をつくり、保持する権限も、民衆は政府に与えていない、と。簡単だ。」

【参考】

ダグラス・ラミス著作目録
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Keyaki/5845/lummistyo.html

米兵・自衛官人権ホットライン
http://www.jca.apc.org/gi-heisi/

9条連
http://www.9joren.net/

【参考文献】

ダグラス・ラミス『ラディカル・デモクラシー ──可能性の政治学──』岩波書店、1998年

ダグラス・ラミス『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』平凡社、2000年

ダグラス・ラミス『なぜアメリカはこんなに戦争をするのか』晶文社、2003年

ダグラス・ラミス、加地永都子共著『ラディカルな日本国憲法晶文社、1987年

池田香代子訳(ダグラス・ラミス監修)『やさしいことばで日本国憲法』マガジンハウス、2002年