「新九条」に従うか従わないか

C・ダグラス・ラミス C. Douglas Lummis
「「新九条」に従うか従わないか」
(『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』平凡社、2000年より)

【概要】

ダグラス・ラミスは、周辺事態法の「第九条」が「政府が、地方自治体あるいは民間組織を戦争の活動に動員してもいい、という条項」であると述べ、この「新九条」と「旧九条」(日本国憲法の第九条)の「比較ができるようになった」と言う。「新九条」か「旧九条」かの選択を具体的に迫られる場面において、「新しいテーマが日本の反戦平和運動の中心になるのではないか」、「それは「抵抗」というテーマ」だと著者は述べる。アメリカの歴史を振り返っても、「プロテストからレジスタンスへ」の変化があり、抵抗(レジスタンス)の段階に入って「反戦平和運動は初めて実力を持った大きな勢力にな」ったという。著者は逆説的にも、「新九条」の突きつけこそが「「旧九条」が日本国民の集団的な決断として復活する可能性をも与えてくれているのではないか」とこのくだりを結んでいる。

【抜粋】

「旧九条」は政府に対する国民の命令だから、「旧九条」に基づいた反戦平和運動は、その命令に従うよう、政府に圧力をかけるプロテスト・ムーヴメントだった。ところが「新九条」は政府から国民に対する命令です。命令の方向が変わったわけです。今度は、国民が命令を受ける形になる。これからの問題は、その命令に従うか従わないか、という選択です。
 言い換えれば、政府が憲法第九条に従わないと決めたとしても、国民が憲法第九条に従わないかどうかは、また別の選択なのです。戦争行為に動員されるような命令がもし来たら、どちらの第九条を守るべきかということを、選択しなければならない。「新九条」か「旧九条」か。そういう選択は残っているわけです。
 そうすると、新しいテーマが日本の反戦平和運動の中心になるのではないかと思います。それは「抵抗」というテーマです。もちろん、どういう抵抗をすべきかとか、どういう抵抗が適当かを提案するのは私の役割ではありません。そういう言い方をするつもりはありませんが、ただ言いたいのは、実際に「新九条」を政府が実行しはじめるとしたら、多くの人が、どう選択するか、必ずどちらかを選択しなければならないという逃げられない立場になるだろうということです。選択しない、という選択が残らないような状況です。どちらかの九条に従う以外に、選択のしようがない。
(中略)
抵抗(レジスタンス)の段階に入って、反戦平和運動は初めて実力を持った大きな勢力になりました。意見、考え方の表現だけではなくて、政府も無視できないような、実力運動になった。実力運動といっても「暴力」ではなく、これはあくまでも「抵抗」です。