ヘンタイ・アナーキストとして

私の信頼する、十年以上前からの友人Kさんは、ここ数日ネットウヨとの言い合いで疲弊した私に、君に今必要なものは、「政治」でも「闘争」でもなく、「恋人」だ、と仰った。私も異論ない。しかし、私は例えば恋をするということや性欲を抱くというようなことも、ひとつのミクロ政治だと考える。日常を組み替えるということ、これこそRAMカタログの基本的思想だったはずである。しかし、今、RAMカタログは、その精神は、死んでいる。私はそれを蘇らせたいと願う。しかし、そんなことは出来るのだろうか。