Q-NAM問題への感想

今日も考えるのはQ-NAM問題である。私は「要求」された原稿を落とす(放棄する)つもりでさえいる。総括と謝罪は、書けたとしても、ホームページで公開するだろう。思い出せば思い出すほど厭な感じと抑鬱が強まる。人間玩弄的な茶番劇に出演してしまったという後悔…。信じるに足るものは何もないのだという気持ち。
03年、私の加害行為はとりかえしがつかないという事実(http://after-that.net/)。Qは致命的な損害を蒙ったろう。Qの活動停滞は、私の破壊行為がその一因であるといえなくもないだろう。
02年、NAM会員による「Q改革」は可能だったのだ。代表、副代表が辞めて空位だったのだから、誰かが責任を引き受けて混乱した事態を収拾することは確かに出来た。だが、私を含め、皆逃げ出した。恥ずかしい事実である。
自分たちの責任で「Q改革」が頓挫したにも関わらず、西部忠宮地剛穂積一平三氏を憎悪したという倒錯。彼らは代表、副代表を辞め権力などない状態だったのだから、彼らが妨害したというのは当たらない。私は間違っていた。lets_thinkによって盲目になり、怒りの矛先を三氏及びQそのものにさえ向けた。
西部忠氏がいうように03年に私がNAM資産管理委員会に対して取った対応とQ管理運営委員会に対して取った対応は違っていた。後者は暴力的だった。前者も、控え目ながら柄谷批判や事実暴露などもしたが、全く不十分だった。私は、柄谷行人氏を批判することだけは出来なかったのだ。それは氏に負う理論的負債による。柄谷行人氏の理論、NAMの理論を公けに批判しうる者のみが柄谷批判を行いうるだろう。私にはそれは、できない。