「その後の意見」への応答──梯子

「その後の意見」で衝撃的なのは、穂積一平さんが次のように述べていることだ。

この場を借りて、2003年9月以降のQとNAMの紛糾なるものがなんであったのか、私見を述べておきたいと思います。非常に単純化していうと、昨年のQとNAMの紛糾というのは、8月29日の京都オフ会で勢いづいたQ=NAMメンバーが、彼らが主張する「よりNAM的なQ」を目指して「Q改革」をしようとして頑張っていたのに、ご本体のNAMがおかしなことになって、いつのまにか「Q改革」などをやっているひとたちそのものが「反NAM」的と断罪されかねなくなり、せっかく苦労して、2階に上がったのに気付いてみれば梯子をはずされて、あたふたとした、ということです。それで苦し紛れにとにかく誰かを「悪者」に仕立て上げなければならないので、旧代表グループなるものを捏造し、これ幸いとlets_thinkメーリングリストを「策謀」の根拠として、ひと騒ぎやらかした、というものでしょう。

私は柳原さんに悪意があったとは微塵も思わない。しかし実態としてこれに近い状態になっていたのは確かだと思う。

Q紛争には段階がある。「京都会議」以前─「京都会議」─「京都会議」以後─「Qは終わった」以後。その段階に応じてNAM会員の主張は変化していく。その意味で[q-project 5760][q-project 5761]の鎌田哲哉さんの「「分離」の提案」は当時の状況分析として傾聴に値する。