Q-NAM紛争の謎

  • 選挙に行く。
  • World Peace Nowパレード(デモ)に行く。東京は豪雨。びしょ濡れになる。TCXのブースも梅田洋品店のブースも見つけられない。
  • その後、あかねスタッフ会議に参加。
  • デリダ『パッション』を読む。
  • 帰宅後、Qの元登記人・西原ミミさんからのメールにお返事を書く。内容を一部抜粋。

(以下、私信)

Q-NAM問題(紛争)には謎が多過ぎるのです。「京都会議」の謎。柄谷行人さんの問題。市民通貨の謎。NAM解散の経緯の謎。そして、何よりも、「登記人」という謎。

私はQ-NAM問題の総括を書き始めるにあたって、「登記人」という章から開始しようと最初は思っていました。しかし、それが不可能なことを悟りました。オフライン登記人の実働を私自身は担っておらず、それがどれだけ過重なものだったのかという点について、誠実に証言することができないからです。

Qの過去ログも再読しましたが、「京都会議」以前にはlets_think MLのコアメンバーである逵さん、木場さんもオフライン登記人の実働を擁護する立場であり、むしろオフライン会議開催要求に連名をするほどでした。

lets_think MLメンバーとNAM会員の溝が出来るのは、「京都会議」以降です。それまでの議論は吹っ飛び、NAMによるQの「査問」だという話になり、「柄谷行人」が問題にされます。

「京都会議」の晩、何が起きたのか、今でも私にはよく分かりません。正式の会議が終わったら、寝てしまったからです。しかし、その後に起きたこと、西部さんによれば「糾弾」「査問」、柄谷さんや柳原さんによれば徹夜の「説得」が重要なようです。これについて、私は実際に見聞していませんし、何が問題だったのか、いまだにわかりません。

以前は「柳原史観」([q-project-user 1229])に説得されていましたが、それにも疑問を抱くようになりました。Q幹部の非人間性に登記人諸氏の人間性を対比する柳原さんの書き方には、修辞が混じっている。宮地さん・穂積さんが「その後の意見」で批判したとおり、Q-hive委員の大量退職がNAM内部の問題から生じた蓋然性が極めて高い現実を無視している。非人間的なのは一体誰なのか? 詐欺師は一体誰なのか? 全てが混沌としています。

「京都会議」以降に起きたこと、それらもまた不可解です。「高額取引」、市民通貨の提案、「告訴」、Q-hive辞任要求、NAM解散…。私は当時翻弄されるように感じていました。03年の暴力的な行動は、02年に奪われた主体性を、無理やりに回復しようとするような行為だったと思っています。(私は自分では、「「負け犬(loser)」の最後の闘争」と自称していました。)

ともかく、一連の経過には謎が多い。私にそれを解き明かすのは無理だと思う。ですから、総括は書けないかもしれません。しかし最低限の謝罪はするつもりです。

登記人諸氏と違って過重な実働をしていたわけではない私には、西部忠さん他に対するルサンチマン(怨恨)を抱く必然性が薄かった。それなのに過剰な情念に囚われてしまったのは何故か。柄谷さんの示唆も確かにあった。lets_think MLの衝撃も確かにあった。NAMの闘士としての党派性か。それも確かに感じていた。Q対NAMになってしまった対立の場において、Qに解散を要求することでNAMの側に立った筋の通し方が出来ると思い込んでいたこともあった。

いずれにせよ、私の行為は正当化できない。Qを積極的に破壊しようとした。対外的にも大々的に宣伝をした。私は責任を取らなければいけない、と思います。にもかかわらず、それはもうとりかえしのつかないことなのだ、とも思います。

西部さん、というより宮地さんの理論には一つの倒錯があると思う。銀行権力を批判するのにLETSは無力だと考えます。Qはオルタナティヴな金融システムを構想しようとした、と宮地さんはいっていたけれど、決してそうはならない。

そうしたことを今日は考えていました。とりとめがないですが、一旦送ります。

それではまた。