ドゥルーズ

私が最初に

アンチ・オイディプス

アンチ・オイディプス

リゾーム…序

リゾーム…序

を読んだのは、高校生の時だった。分からなかったが、圧倒的に面白かった。私は、それを理解したいと望んだ。早稲田大学に進んでドゥルーズを読みたいと思ってフランス語を選択し、卒論もドゥルーズで書き、大学院に進んだ。面接で、先生たちから、「生活は保障できないが、それでもいいのかね?」と念を押され、それでもいいといって大学院に入った。私はダメ院生だった。フランス語原文の資料を借り出したりコピーしたりを繰り返していたが、実のところ、ほとんど読めていなかった。私は強迫観念に駆られ、勉強している振りをしているだけだったのだ。そのつけを修士論文のときに支払わされた。私は面接の時詐欺師呼ばわりされ、博士課程には進めなかった。私はその後も一年間大学院に通い続けたが、大学院での日々はそれで終わった。無職の日々、そしてフリーター生活が待っていた。

ドゥルーズのどこが私を惹きつけたのだろう? 今思い返すと、それは「破壊せよ、破壊せよ」という命令だったのだと思えてくる。私は全く美学的ではなかった。映画にもくわしくなかったし、文学にもそれほどくわしくなかった。美学的ドゥルージアンたちには違和感を感じていた。私にとってドゥルーズは闘争の人、運動の人、肯定の人だった。