22世紀映画祭

映画祭に行く予定はなく、リング会員の方からメガホンを
受け取るために早稲田のキャンパスに行ったのですが、
そこで本当に偶然、この22世紀映画祭に行き合わせ、
多くの知人もそこにいて、そのまま映画を観ることになりましたが、
フィリピンについて知らなかった多くの事実を知ることができ、
且つまた、「構造的」な暴力、グローバル化した多国籍企業
アメリカに隷属した開発独裁国家とが結託しての暴力に対しては、
「対抗暴力」──いっぱんにテロリズムとレッテル貼りされる──以外の
声のあげ方はないのだろうか、など多くのことを考えさせられました。

http://give-peace-a-chance.jp/movie22/

お金がなくて国民通貨でカンパすることはできませんでしたが、
地域通貨でのカンパが可能なら(そしてそれに意味があるならば)
是非応援していきたいという気持ちになりました。


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『NAM原理』(太田出版)に掲載された高瀬幸途さんのエッセーは、
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4872335422/249-3828872-7578728
フィリピンに生産者協同組合を、日本などいわゆる「先進」諸国に
消費協同組合を組織し、両者をつなげていくこと、フェアトレード
唯一の「非暴力」的な資本と国家への対抗運動であるとの主旨でしたが、
NAM(「新協同組合運動」)はその提言を実現できないまま解散しました。

また、わたしは、フェアトレードを幾ら推進しても、軍や警察といった
具体的な暴力装置の発動によってなされる「合法的に暴力を独占している
唯一の存在である国家」による暴力を抑止することには少しもならないのでは
ないか、と近頃思うようになりました。

それでは、個人や群集の対抗暴力、テロリズムなどとレッテル貼りを
される対抗暴力を肯定するのか? といわれれば、自分だけ安全な位置に
身をおいて他者の危険を肯定するとも言い難いという気持ちになります。

わたしは、『経済発展がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』
平凡社)や『ラディカル・デモクラシー』(岩波書店)などで表明
されているダグラス・ラミスさんの考えに近づいています。

開発、経済発展がなければ豊かになれないという思考そのものが
民主主義とは両立しないのではないか、国家に暴力を独占させるという
「20世紀の実験」そのものが失敗に終わったのではないか、という
主張に関して、わたしは、深く同意するものです。

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http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000024167/qid%3D1029737225/sr%3D1-10/ref%3Dsr%5F1%5F2%5F10/249-3828872-7578728
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Keyaki/5845/lummistyo.html

特にフィリピンでは、国軍が民衆自身に銃を向け、爆撃しています。
こうした過剰暴力ともいえる実態を初めて知り、まるでイスラエル
同じかそれ以上の家屋破壊の実態も初めて知り、それがグローバル化した
多国籍企業アメリカ国家、日本国家と結託した開発独裁政権によって
指示されている「構造」を知り、こうしたもろもろの連関の総体を
なくしていくのは容易ではないと、ひとつのアプローチだけでは駄目だし
民衆側の知恵と技術を結集してこうしたもろもろの連関を揚棄していかなければ
ならないと思いました。

シンポジウムの最後に、高岩仁監督は、ひとつの提言として、
社会主義」に言及しました。わたしはひとりの左翼として、その発言に
共感するものですが、ソ連崩壊や北朝鮮の現体制の評価などの難題も
抱えながら、オルタナティヴ、もうひとつの世界、コミュニズム
再構築をすすめていかなければならないものと思っています。