Q紛争とは

一年が過ぎても、Q紛争が何であったのか、その意味はわたしには分からない。
ひとついえるのは、すべてがあまりにもくだらなかった、ということだけだ。
わたしは一年前からある疑いを抱いている。
LETS-Qの「信頼原理」を反証する目的で、柄谷さんおよび一部のNAM会員が、意図的に不信や疑心暗鬼をmaxにするような戦略を取り続けたのではあるまいか、というのがその疑いだ。
そうとでも考えないかぎり、理解不能な唐突な出来事が多すぎた。
柄谷さんは、意図的にQインフレを起こしたのではないか━━会員間の信頼をわざと引き裂き、ぼろぼろにすることを通じて。
その結果わたしたちが得たのは、「信頼原理」を信頼してはならない、という純粋に否定的な結論だけだった。
柄谷さんがQに関して提起した否定的な問題性は全て正しい。
しかし、積極的に打ち出した代替案は、全く正しいと思えない。
NAMは、ポイントカードで資本主義を揚棄しようというような「純粋な狂気」に到達して自己崩壊した。
柄谷さんは、市民通貨Lは理論的には完璧なので、安易な批判をする者は後で泣きをみることになるだろう、といった。
しかしわたしは既に十分に泣いたので、「後で」などということはもうどうでもいいことにしか思えない。
遠慮なく勝手なことをいってきたのは、そのためだ。
わたしには、失うものは全くないか、そう多くない。
ゆえに徹底的に追究することもできるし、いいたいこともいえるのだ。
一年前にはそうではなかった。
わたしはとても怯えていて、言動に一貫性がなかった。
当時陰謀を仕掛けていた人たち(複数)に翻弄され、オモチャにされたのだ。
だからそのささやかな仕返しを、8月と9月にした。
裏切りや策謀を全て暴露し、晒し者にした。
わたしは残酷きわまりなく、狂気に近かったと思う。
実際、当時、精神病の当事者がひとり亡くなっているが、紛争に影響されての自殺の可能性もあるとわたしは思っている。
わたしの狂気がその人に伝染ったのだとしたら?
NAMやQのようなもののために、たかが「実験」のために━━痛ましいとしかいいようがない。