L.ビンスワンガー、M.フーコー『夢と実存』(荻野恒一、中村昇、小須田健訳、みすず書房)、p.99.

だからこそ、想像力の多くの形式は自殺に似ている。というよりはむしろ、自殺は想像的なふるまいのうちの絶対的なものとして現われてくるのだ。あらゆる自殺の願望は、もはや私がここやそこにではなく、いたるところに現前しているような世界、隅々まで私に透明であり、どこをとっても私の現存在に帰属していることを示しているような世界で満たされているものである。自殺とは、世界なり私なりを、あるいはその二つをともども取り除く手段などではない。それは、私が世界になる原初の瞬間を見いだす手段、まだなに一つとして世界のなかの物になっておらず、空間がまだ実存の方向でしかなく、時間がまだ実存の歴史の運動でしかないような、そうした原初の瞬間を見いだす手段なのだ(1)。自殺すること、それは想像の究極の様式なのである。取り除くといった実在論的な用語で自殺を表現しようとすれば、必ずや自殺を誤解する羽目におちいる。想像力の人間学だけが自殺の心理学と倫理学とを基礎づけうるのである。

(1) ある種の分裂病患者にあっては、自殺という主題は再生の神話に結びついている。

ミシェル・フーコー『わたしは花火師です』(中山元訳、ちくま学芸文庫)、p.10-11.

わたしは精神病理学についても研究していました。学問と自称しているのですが、この「学問」にはあまりたいした中身はありません。そこでわたしはある疑問を感じたのです。学問的には内容がほとんどないのに、どうしてこれほどの権力を手にしたのだろうか、と。この学問には驚くべき特徴があります。わたしはサンタンヌ病院で二年間というもの、この分野で研修をしただけに、驚かされるものがあったのです。わたしは医者ではありませんでした。その資格はなかったのです。それでも患者ではなく、研修生だったので、病院の中をあちこち歩き回ることはできたのです。精神医学の知がもたらす権力を行使することはできなかったのですが、それが行使されるそれぞれの場で、観察することはできたのです。わたしは心理テストを行うという名目で、患者とさまざまな議論をしました。そして定期的に患者を訪問して決定を下す医師団も観察しました。わたしは、患者と医師が接触する場に立ち会っていたのです。いわば偶然の賜物として、病院で権力を行使する人々が、狂者と接触する場を目撃したわけです。そこでこの場が歴史的にどのように形成されてきたかを再構築しようとしたのです。

近況アップデート

おはようございます。

鈴木健太郎さんをブロックしました。理由は、現在の自分の状態では野田佳彦事務所を訪問することなど絶対に不可能だと悟ったということです。鈴木さんが、ご自分が平日仕事で行けないからといって、私に行くようにせかすとしても、どうしても無理なものは無理です。どうしようもないのです。

さて、ビンスヴァンガーの『夢と実存』への長い序文はフーコーの実質上の処女作です。バシュラール風に想像力に依拠している、というようなドゥルーズの批判は、『狂気の歴史』よりもむしろこちらに当て嵌ると感じます。

それから、インタビューでフーコーが語っている、精神病理学、精神医学にはたいした内容がない、にも関わらず権力を手にしている、というのはその通りだと思います。

今日は政治が主題ではありません。だから、深入りしませんが、ポーランド滞在中(1958-1959年)にフーコーマルクス主義者であることをやめた、という事実(『花火師』p.35)は重要だと思います。理由は「東欧において、そして西欧において、共産党がはたすとされた役割を、もはや容認できなくなった」からです。21世紀の現在、そのことはかえって、分からなくなっている、忘却されていると感じます。私は、ごく幼い頃、子供の頃、新聞報道などを通じて、当時まだ存在していた東西冷戦の雰囲気、その感触を記憶しています。しかし、忘れている人も多いし、若い人はそもそもそのようなことを知らないし、経験してもいません。

現在マルクス主義者が元気なのはどうしてでしょう。理由は明らかです。もうソ連がないからです。それ以外にありません。マルクス主義者、共産主義者、左翼だといっても、「じゃあ君はソ連を支持するんだね?」とか言われるようなおそれはもうありません。ソ連はなくなったのですから。ただ、それでも20世紀の「超権力」の経験(ファシズムスターリニズム)は記憶されるべきでしょう。

話を変えます。解離についての神田橋條治の意見をきいてみましょう。「解離というのはね、もっとも苦しいときに、人間という特別な脳を持った生物が使える最高の方法です。天草で逆さづりにされたキリスト者たちはみんな解離を使って耐えたんでしょう。解離がなかったら耐えられなかったでしょう。だから解離はそういうときに使うんです。解離性人格障害は、治そうとしてはいけないんです。ただ、解離性人格障害が薄れてくれば、ああ、ずいぶん脳がラクになったんだな、という指標としては使えます。治療のターゲットにしてはいけません。」(神田橋條治ほか『発達障害は治りますか?』花風社、p.56-57.)

解離性人格障害とか多重人格について調べました。素人の自分にもはっきり分かったことがあります。それは、近親者から本当に凄まじい性的虐待を受け続けてきたというケースがかなりある、ということです。このことはすこし考えてみる価値があります。

フロイトは当初、神経症の病因として「誘惑仮説」を想定していました。つまり、子供が大人から性的に誘われる、性的な行為をされる、そのことが心的外傷となって、後に神経症をひきおこす、というような考えです。しかし後年彼は、その仮説を放棄しました。それは、性的誘惑は、現実の出来事というよりも、患者(主体)の心的な幻想、ファンタジーである場合が多い、と看做すようになったからです。

けれども、フロイトの考えの変遷はともあれ、現実に過酷な性的虐待が存在するのは事実でしょう。私は、多重人格なるものが本当に存在するのか、ということよりも、そのようなことを訴える人のなかにもう本当に大変な虐待をこうむってきた人がいる、ということの尊重のほうが大事だと思います。デス見沢先生のように、多重人格を訴える患者に、「演技でしょ?」と否定を告げることに、治療的な価値はないと思います。

神田橋條治の意見にもうすこし耳を傾けてみましょう。「先ほども言いましたけど、解離は非常に高度な、人間特有の生き延びる術です。だから虐待が根底にある解離はビューティフルです。」「人格が。きれいに分かれています。でも生来の発達障害の人が苦しい中で創作した解離の人格は、それほど美しく分かれません。」「きれいな多重人格になりません。だからケースレポートになるような美しい解離は発達障害じゃないです。それは脳の豊かな機能があって、相当強い、逃げ出したくなるような恐怖が与えられて、他罰的に防御する方法ももたず、逃げることもできず、という極限状況で脳が作り出した世界です。」(前掲書、p.69-70.)

すこし脱線しますが、神田橋條治が正しいかどうかは判断できませんが、彼が患者を治したいということは分かります。医者だから当然じゃないか、といわれるかもしれませんが、そうではない精神科医が多いのです。フロイトラカンの解釈にしか興味がないという人を知っています。

「僕はね、治療が大好きなんですよ。目の前で苦しんでいる患者さんをなんとかラクにしてあげたいという気持ちでやっているの。医者の仕事は、それでしょう。」(p.21)「なんで治そうとせんのかなあ? 不思議でしょうがない。なんでこの仕事してるのか。現世利益を何ももたらさないで収入を得るのは間違いだと思うなあ。」(p.226)「救う気がなくて支配しようとしている医療者に、僕は腹が立つんです。誇らしげに診断名だけつけたって、対処方法まで教えないと患者さんの利益にならないでしょ。」(p.250)

基本的にはフロイトも同じ考えです。フロイトは臨床は下手だったといわれますが、それでも彼は思想家であるまえに医者であり、医者としての職業倫理をもっていました。ラカン以降、精神分析は「思想」になりました。しかし、フロイト自身にはそうではなかった、ということです。ドゥルーズフロイトをひどく批判しますが、公平にみてフロイトのいうことのほうが妥当である場合が多いと個人的には思います。例えば、フロイトは、『精神分析入門』のなかで、こういっています。精神分析療法は、開発途上の治療法であって、患者は自らの治療を求めて分析医のもとを訪ねるのだ。もし、治療として無効だと分かれば、彼らは我々への協力をやめるだろう、と。つまり患者は患者であり、実験材料やモルモットではない、というごく当たり前の医者としての職業倫理がフロイトにはあったのだということです。

もう一ヶ所引いておきましょう。「でもサプリメントとか、漢方とか、そういうのは、主治医によって止められるケースとかもあるわけじゃないですか。」という質問への応答です。「またその理由が「そんなもののんだら自分が出した薬の効果が検証できない」だったりするんだよな。バカみたい。データ採りのために医療があるんじゃない。目の前の患者さんをちょっとでもよくするために医療があるんだ。たとえば漢方薬はね、さっき言った治療の主導権の委譲ができやすいんですよ。自分で本買って来て勉強するのがそれ自体がセラピーなんですよ。それを止めるような医者は治すことに興味がない。おそらく治療法の研究にしか興味がないんでしょう。治療を大事に考える医者なら、できるだけ患者の治療意欲は大事にして患者の養生心を引き出す。それに協力するという姿勢をとるでしょう。」(p.290-291)

脱線ばかりで、本題に入れませんが、簡単に予告をしておきましょう。それは病態がない、正気であるとはどういうことか、ということです。

病態がない、正気であるとはどういうことか、という本題に入る前に、回り道、迂回をしましょう。それは、狂人の言説が一般に読める状態になるというのは、まずあり得ないといっていいくらいの例外状況だ、ということです。つまり、狂気の言説というのはほとんど「ない」のです。社会的に存在していません。

我々は例外をふたつ知っています。『シュレーバー回想録』と、未邦訳(翻訳不能)のアルトーのノートです。しかし、彼らの場合、特殊な条件がありました。シュレーバーは非常に社会的地位が高い人でした。アルトーは偉大な文学者としての評価が確立されていました(「文学の完成」)。

それ以外の、我々がごく普通に読める、世の中に流通している表現で、精神病水準のものはほとんどない、というのが私の意見です。

例えば、晩年の芥川龍之介の作品、『歯車』『或阿呆の一生』はどうでしょう。もしそこに書かれていることが事実なら、確かに大変なことです。半透明の歯車が回転している幻覚が見えるならば、病的な体験だといえるかもしれません。しかし、そのようなことを書き記す芥川の文章、文体はすこしも乱れておらず、整然としています。つまり、言語表現は少しもおかしくないのです。わけのわからぬ記号が羅列されたアルトーのノートとは違います。

或阿呆の一生』の序文で書かれていることもごく常識的です。(1) 芥川は、そこで、自分は悪い夫、悪い父親であったと謝罪しています。(2) それから、自分が自殺をするのは、自分の唯一の我儘であるから、どうか許して貰いたい、と書いています。そのようなことは、確かに気の毒だとは感じますが、異常、病的というのとは全く違います。

自分は苦しいので、夜中に眠っている間に誰かに絞め殺して貰えれば有難い、というくだりで、『或阿呆の一生』は終わっていたと記憶しますが、べつに異常な発想だとは思いません。なぜなら、苦しくても自殺をするのは大変ですから、安楽死のようなことを望むのは普通の心理だと考えるからです。芥川にせよ、もしかしたら死ねるのではないかと思って一日に蝿を20匹食べていたりしたわけですが、死ぬことはできなかったのです。

芥川をそれほどに苦しめていたものというのは、いろいろあったでしょうが、狂気そのものよりも、自分が狂ってしまうのではないかという恐怖が大きかったように思います。彼の母親は狂人であり、精神病院で死んでいます。遺伝のせいで、自分もそうなってしまうのではないか、と彼は恐れていました。

それから「漠然とした不安」という有名な表現があり、宮本顕治『敗北の文学』から吉本隆明芥川龍之介の死』に至るまで(柄谷行人に本格的に芥川を論じたものがあったかどうか、記憶がありません。吉本の解釈を斥ける文章は読んだ記憶がありますが)、様々に議論されていますが、狂気とか精神病というよりも、時代状況、社会状況を考慮すべきでしょう。

芥川についてのコメントはこれくらいにしておきますが、我々が一般に入手可能なもので狂気といえるようなものはほとんどないと思います。漱石の『こころ』の「先生」は典型的に抑鬱的ですが、べつに狂気と思いません。太宰治の『人間失格』に書かれているようなことは、認知として例外的である、変わっているとは思いますが、狂気ではないでしょう。山田花子の『自殺直前日記』に、あらゆる人間関係はつきつめればいじめるか、いじめられるかに還元されてしまうという考えが書かれているのと同じで、或る独特な状況においては、人はそのような信念を抱いてしまうのを避けることができない、というだけのことです。

小説であれ漫画であれ、多くを読んでいませんが、私が思い付くのは、日野日出志の『地獄変』と『恐怖! 地獄少女』です。彼の作品は無数にありますが、自分が知る限りこのふたつが突出して悲惨な内容が描かれています。『地獄変』の場合、戦争の問題(第二次世界大戦、太平洋戦争)があります。原爆投下や、中国から逃げ帰るときに子供を絞め殺さなければならなかった親など、膨大な死や悲惨が主人公の「地獄絵師」の精神を破壊してしまっています。『地獄少女』には、見捨てられた命の自己犠牲のテーマがあります。主人公の「地獄少女」は、自分を捨てた家族を殺すつもりだったのですが、美しく幸せに生きている妹を見て、家族を殺すことができず、ただ泣き崩れてしまいます。そしてそのまま、警察に射殺されます。これは極めて暗い物語ですが、単にそういう表現だというだけで、日野日出志が狂気というわけではありません。むしろ彼は非常に健康な人でしょう。

もうすこしだけ『地獄変』のことを書きますと、主人公の「地獄絵師」は自分の血液で絵を描いている画家です。物語は彼の家族の物語として始まりますが、その家族が全員狂っているのです。終章で、「地獄絵師」は斧で家族全員を叩き斬りますが、そのとき、家族は全員、生きた人間からマネキン人形に変貌してしまっています。そして不意に、膨大な戦争の死者達が出現し、彼を圧倒します。この漫画は、「地獄絵師」が読者に向かって斧を投げ付ける、というところで終わっています。

そろそろ回り道、迂回もおしまいにしますが、私はべつに、『狂気の歴史』のフーコーのように、狂気と創作活動は両立しない、などと結論したいわけではありません。美術のことを碌に知りませんが、草間彌生という偉大な例外がいます。ただ、様々な理由(狂気・狂人が社会的に排除されているとか、狂気の言説を出版しても商業的に売れないとか、芸術的価値がないとか)によって、狂気の言説が稀である、という事実を確認しただけです。

それでは病態がない、正気であるとはどういうことか、という話をしていきましょう。はじめに断っておきますが、これから申し上げることは自分の個人的な経験から導いた考えであり、必ずしも一般性や普遍妥当性を要求できるようなものではない、ということを確認しておきます。

(1) 病態がなく正気であるというのは、言い換えれば治すことができない、ということです。医者は病気を治すのが仕事ですが、必ずしも病気とはいえないものを治すということはできません。そこに精神医療がこえることができない限界があります。

(2) そして主体の防衛機制、防衛メカニズムが機能していないということです。

解離を患っている人は、そのことによって、苦痛から逃れることができます。例えば、耐えることができないほど苦痛な経験、苦痛な想い出を「犠牲者人格」に担ってもらい、そのかわり、主要な人格がつつがなく無事に日常生活を送れる、というようなことです。しかし、そのような「技」が使えないとすれば、一体どうなってしまうのでしょうか。

私の考えでは、もし自分にとりたてて病態がなく、正気、正常であるならば、それほど大変な体験をしていないからだ、ということです。例えば、幼い頃から父親に性的虐待を受け続けて成人した女性と比べるならば、私の体験した苦痛など、なにほどのものでもない、ということでしょう。だから、解離の必要性がなかった、ということです。

しかし、そのかわりに、あらゆる苦痛な記憶、苦痛な想い出の無限の反復に自分一人で耐えなければなりません。多重人格のように、沢山の「私」がいるとか、つらい記憶は特定の「犠牲者人格」に担ってもらうということはできないのですから、解離していない常に同一な自分がその果てしのない苦痛な体験に耐える必要があります。それが正気であるということの代償です。

カウンセラーの意見では、すこしPTSDの疑いがある、とのことですが、このPTSDというのもよく吟味しなければなりません。というのは、それは被害者ではなく加害者が罹るものであるという可能性が大きいからです。

例えばアメリカは、第二次世界大戦後も世界各地で戦争を続けてきました。その最大のものがベトナム戦争です。最近の湾岸戦争イラク戦争でもそうですが、帰還兵のなかにもとの日常にうまく復帰できないという人がかなりの割合でいます。

イスラエルには兵役の義務があり、若者が兵士にされます。そして、パレスティナ自治区に送り込まれ、パレスティナ人を殺害したり傷付けたり、家屋などの財産を破壊したりとひどいことをやるのですが、そのようなことの罪悪感に耐えられず、除隊後おかしくなってしまう人が一定数います。

かつての日本人でも、アジア諸国への侵略戦争での残虐行為への加担に耐えられなくなってしまった、という人はいたはずです。

もうすこし身近な例を挙げますと、新左翼党派の内ゲバで、ほかの党派の人達を「殲滅」した、つまり物理的に殺害したり不具にしたという過去の記憶の罪悪感でおかしくなってしまい、外に出たり他人と話すことができなくなってしまった、というような人を知っています。

よく知られていることですが、内ゲバ、つまり左翼同士の殺し合いは、黒田寛一議長(当時)が指導する革マル派が、当時の中核派の本多さんという書記長を暗殺してしまった、という事件から始まっています。それに中核派の人々が報復して、大変なことになったのですが、私には疑問があります。

幼稚な意見かもしれませんが、私は、内ゲバといっても殺人行為だったのだから、きちんと法的に裁かれなかったのはおかしい、と思うのです。中核派の書記長を暗殺してしまったという一件にしても、その殺人を実行した人、指示した人が法的に罪を問われるべきだったと思うのですが、そうなっていたのでしょうか。私の知る限り、黒田寛一は逮捕されることも服役することもなく、無事につつがなく天寿を全うしています。そのようなことはおかしいのではないか、と思うのです。

すこし休憩です。

さて、正気であるとはどういうことか、という話に戻りますが──(3) それは法的、道義的な責任能力がある、ということです。アルチュセールが奥さんを絞殺したけれども狂気であったので法的には罪に問われなかった、という話を思い出してください。奥さんを射殺したバロウズの場合、責任能力はあったはずですが、しかし彼は国外へ逃亡しました。

すこし関係がない引用をします。「僕は「精神科養生のコツ」(岩崎学術出版社)の中に「ちょっと死んでみる」という養生法を書いたんだけど、あれのヒントはね、自殺を決意した人が明るくなる、というよく知られている現象だったんです。で、自殺というのはどこか治療的な意味合いがあるんだと思ったの。それで「ちょっと死んでみる」方法を提唱したの。そうしたら、ヨーガに死のポーズというのがあるのを知って。ヨーガはたいてい最後に死体のポーズをして終わるんですね。それで安らいで終わる、と。それであれを思いついて、患者さんにしてもらったら具合のいい人多くてね。」(p.64-65)

私の感想:「自殺を決意した人が明るくなる、というよく知られている現象」とありますが、私は知りませんでした。太宰治の『右大臣実朝』の、平家ハアカルイ。アカルサハ、滅ビノ姿ナルカナ。というくだりとか、『斜陽』全体に漂う奇妙な明るさを想起しました。

「僕が双極性障害と診断するのは、「双極性障害と診断して治療を行うともっとも患者さんの利益が多いな」と思われるときです。というのは、DSMの基準で正しく診断されて、もうほとんど今のイラクみたいなめちゃくちゃな状況になっている患者さんが多いからね。患者さんが自然治癒を求めてする行動、つまりリストカットとかが、医者の側から見ると自爆テロ扱いになっていたり。」(p.73)

「でも悲惨なのは、双極性障害であるにもかかわらず、よそでうつ病とか神経症とか診断されて、精神科に行って、抗うつ剤抗不安剤を投与されて一生懸命に治療されたケースです。本人もまじめに医者に信頼をフィードバックするもんだから医者も一生懸命治療して、熱心な診療行為が行動療法的に強化されて、そうなるとわけがわからない状態になっていきます。そして、突発的に不安が起こるようになると、マイナートランキライザーが出されます。出されると、一年以内に手首を切るようになります。薬をがばっと飲んだり、あるいはモノを壊したりね。そうすると今度は人格障害という診断がつきます。人格障害の完成です。」「それとこの体質の人たちには、内省精神療法も向きません。内省精神療法をやることは、双極性障害の人を境界例人格状態に作り上げるための一番の近道です。なぜなら双極性障害の人たちは、自分の内側をフィールすることはできても、それを言語化するのに向いていません。フィールしたらそれを行動に結びつけることがその人たちに合った生き方なんです。だから「そのときあなたは何をどう感じたのですか?」というような、自分の内側に目を向けることをさせると、だんだんおかしくなります。/で、こういう人は、人間関係の中で生きていく能力は、内省化して言語化が得意な人たちよりずっと優れています。商売人に向いています。人に対するサービスを提供する職業には向いています。内省をしなくても、人にサービスし、人がハッピーになることで自分もハッピーになるんです。これが双極性障害の人が健康になることのゴールです。」(p.75-76)

ミシェル・フーコー『わたしは花火師です』(中山元訳、ちくま学芸文庫)、p.11-12.

──そうしてあなたは、精神医学の世界に個人的にかかわってこられたのですね。
このかかわりは研修生時代だけのことではありません。個人的な生活においても、わたしは性にめざめた頃から、社会から排除されているという感覚をもちつづけてきました。捨てられているというのではないのですが、社会の影の部分に属していると感じてきたのです。自分がそういう存在だということを発見してみると、これは何とも衝撃的なことでした。この衝撃はたちまちに、いわば精神医学にかかわる危惧に変わったのです。お前はほかの人とは違っている。ということは、お前は異常者なのだ。異常者だということは、病人だということだ。ほかの人とは違っていること、正常ではないこと、病人であること、この三つのカテゴリーはきわめて異質なものでありながら、どれも同じように扱われていたのです。でもわたしは自分の生涯については語りたくはありません。興味深いことではありませんし。

ミシェル・フーコー『わたしは花火師です』(中山元訳、ちくま学芸文庫)、p.15.

1960年には、共産主義者であれば、同性愛は病気ではないと主張することはできなかったのです。さらに精神医学があらゆる場合において、批判すべき権力のメカニズムとつねに結びついているということも指摘できなかったのです。

私の感想

私の感想──フーコーが語っているのは、ごく普通の日本語表現でいえば、「深い疎外感」とかいうことになると思うんだけれど、内容そのものよりも、彼がそのように感じていたという事実が驚きだし、ショッキングだし、時代を感じさせます。「1960年には、共産主義者であれば、同性愛は病気ではないと主張することはできなかった」というのは知りませんでしたが、そうであれば、彼が共産党共産主義(者)、マルクス主義(者)に批判的であったのも当然だと思うし、ネグリのように、フーコーマルクス主義的に読もうとかいうのは全く成り立たない、ナンセンスだと思います。

現在の(21世紀の)我々からすれば、1960年(!)にもなってまだ、同性愛は病気だというような人が多かったということにびっくりしますが、それもまた時代の限界、時代の制約ということなのでしょう。

だからフーコーが、『狂気の歴史』とか『性の歴史』を書いた(『性の歴史』は未完なので正確にいえば、書こうとした、でしょうか)のもよく分かります。ただ、自分が社会的排除の対象であると感じたとしても、そのような人が全員、そのような本を著せるわけではないでしょうが、彼の場合はそれが可能な条件があったということでしょう。吉本隆明の意見では、フーコーは『言葉と物』だけが特権的に素晴らしく、それ以外の仕事は、どうでもいい(とまではさすがに吉本もいわないけれど)周辺的、個別的、特殊的なものなのだ、ということですが、その認識は違うと思います。

ただフーコーと現在の我々、現在の論者で違うのは、彼がみている(そして批判している)のが「現実の」マルクス主義者なり共産主義者だということでしょう。マルクスのテキストのなかにしかいないマルクス主義者ではなく、現実の社会主義国家を支配していた共産党の人々、権力、「超権力」を手中にしていた左翼知識人であったということでしょう。東西冷戦の終わり、ソ連や旧共産圏の崩壊、ベルリンの壁の崩壊などから随分経つので、当時そのようなことがいかに大きなことであったか、というのが、21世紀の人間にはかえって分からなくなっていると感じます。以前、東郷健と対談した岩波文庫の『資本論』の訳者(旧社会党、労農派の人)が社会主義になれば同性愛は治るとかいって東郷健を怒らせたという話をしましたが、そのような粗雑な認識の「知識人」が国家権力を、それも絶対的な権力を握るようなことがもしあったなら、と想像するとぞっとします。

現在の論者(そこには当然、柄谷さんもふくまれるわけですが)にもし違和感をもつとすれば、彼らのいうマルクス主義とか共産主義マルクスなどのテキストのなかだけのもので、20世紀の「超権力」の経験を必ずしも踏まえていないようにみえることです。NAMも結局その限界をこえられなかったと思います。かつての「現存社会主義」国家が深く抑圧的であった、という事実は、そんなに簡単に忘れられていいことではないように感じます。

逆にいえば、吉本隆明によく理解できていなかったようにみえるのは、『言葉と物』がマルクスを相対化したといっても、それはマルクスの言説が完全にリカードゥと同じ「エピステーメー」に属すると指摘しただけのことだから、それと名指しせず結果的に(暗黙に)当時の社会主義国家における強制収容所問題を提起してしまった『狂気の歴史』の批判のほうが遥かに深いし根底的なのではないのか、というようなことです。単にマルクスの書いたものがどうなのかということが問題ではなく、それを教条に掲げる国家権力がなにをしているのかが問題だということで、そのような批判のほうにこそむしろ意味があると思います。

『狂気の歴史』を批判する人はドゥルーズのように沢山いるわけですが(現象学の尻尾を残してしまっている、バシュラール主義=想像力の優位といったロマン主義に留まっている、等々)、この型破りな作品は、フーコーの一連の著作のなかでも多義的で重要なのではないか。普通、フーコーは知から権力へと移行した(そして晩年は「自己」の問題系へと移行した)といわれるわけですが、そのように割り切れるものでもなく、『狂気の歴史』には、「自己」の問題系こそないかもしれませんが、知の問題も権力の問題も提起されています。