ジル・ドゥルーズ「思い出すこと」より抜粋

ジル・ドゥルーズ「思い出すこと」(聞き手:ディディエ・エリボン、鈴木秀亘訳、『批評空間』誌第II期第9号、太田出版)、p.11-12

マルクス
私は共産党に入ったことは一度もありません。(精神分析を受けたことも一度もありません。そういったことはすべて免れました。)60年代以前は、自分をマルクス主義者だと思ったこともありません。共産党員にならなかったのは、党が党員の知識人に何をさせていたかを見て知っていたからです。

当時私がマルクス主義者でなかったわけは、つきつめればマルクスを知らなかったからだということもことわっておかなければなりません。

マルクスを読んだのはニーチェと同じ時期でした。素晴らしいと思いました。彼の生み出したさまざまなコンセプトは、私にとって今でも役立つものです。そこにはひとつの批判、根本的な批判が存在しています。『アンチ・オイディプス』と『千のプラトー』はマルクスに、マルクス主義に完全に貫かれた作品です。現在私は、自分を完全にマルクス主義者だと考えています。例えば、「管理社会」について書いた記事は(月刊ロートル・ジュールナル1号 1990年5月号に掲載、ミニュイ社刊『記号と事件』に収録、邦訳河出書房新社)、マルクスが彼の時代には知りえなかったことを語っているにもかかわらず、完璧にマルクス主義的なテクストです。

マルクスは間違っていたなどという主張を耳にする時、私には人が何を言いたいのか理解できません。マルクスは終ったなどと聞く時はなおさらです。現在急を要する仕事は、世界市場とは何なのか、その変化は何なのかを分析することです。そのためにはマルクスにもう一度立ち返らなければなりません。

〈著作〉
次の著作は『マルクスの偉大さ』というタイトルになるでしょう。それが最後の本です。

〈絵を描くこと〉
私は今もう文章を書きたくありません。マルクスに関する本を終えたら、筆を置くつもりでいます。そうして後は、絵を描くでしょう。

真夜中の思索

【真夜中の思索】
友達がいなくて寂しいなどというが、私には残酷に他者を批判し、絶交することしかできないじゃないか。自分から繋がりを全て断ち切ってきたのだから、孤独なのは当然だ。仮にどんなに親しかろうと牙をむく。狂犬攝津、などと言われる由縁である。倉数茂さんや岡崎乾二郎さんにせよ例外ではなかった。過去に少しでも関係があった人で、罵倒して絶交していない人はほとんど一人もいない。それほどに性格が悪いのだから、敬遠され、連絡がなくなるのも全く当然のことだろう。自業自得だとしかいいようがない。

2012年2月14日(火)のFacebook「近況アップデート」纏め

最近すっかり涙もろくなってしまって、アルチュセールを読んで涙していたのだけれども、私が泣いてもしょうがないのはよく分かっている。筑摩書房のほうの本にはアルチュセールの手紙が入っているのだが、抜粋しなかったところも含めて、非常に気の毒だと感じる。彼は、私からみるとそうではないが、自分には教養がないと思い込んでいる。その点で、自分の教え子であったデリダデリダだけではなく、フーコードゥルーズも)にコンプレックスというか引け目を強く感じている。そのような元教え子らを、現代の教養あるアナーキストたち、とかいって、半ば揶揄し、半ば羨望している。そして自分の教養の穴を埋めなければ、とニーチェハイデガーを読み続けている。

アルチュセールはエレーヌという奥さんを絞殺してしまった経緯を、自叙伝『未来は長く続く』で詳細に書いている。私は雑誌でも単行本でも読んだが、どうも殺意があって殺害したというふうに思えない。本当に責任能力はないというか、気が付いたら奥さんが死んでいた、という感じだったようだ。それでもそのような事件を起こして、アルチュセールは奥さんも(なにしろ自分で殺してしまったのだから)仕事も政治活動も、なにもかも失ってしまう。つまり、社会的には葬られてしまう。最晩年の思索というのは、そのように全てを失い、心身の調子も極めて良くないなか書かれたものだ。正確な診断は分からないが、極端な躁鬱状態であり、躁状態のときには自分で自分が分からなくなってしまい、他人、周囲にも迷惑を掛けてしまう、という感じのようだ。身体に関しては、鍼治療を随分信頼しているようで、それを続けている、という感じ。

アルチュセールに関しては『批評空間』誌のアルチュセール小特集での、デリダの文章と市田良彦の文章が卓越して素晴らしい。

記憶だけでいうのはよくないと思って『批評空間』誌のバックナンバー(全てを持っているわけではない)の関連する号を読み返してみた。アルチュセールに関する主要なテキストは以下である。まず、『批評空間』誌第II期第10号に入っている、ジャック・デリダ『政治と友愛と(承前)』、ミシェル・ロワ『ルイのこと』、市田良彦『ミシェルのこと、ルイのこと』。第II期第9号に入っているジャック・デリダ『政治と友愛と』。第II期第7号に入っているルイ・アルチュセール唯物論のユニークな伝統(完)』、『『フォイエルバッハにかんするテーゼ』についての覚書』。私が持っているのは以上である。とりわけミシェル・ロワ『ルイのこと』(Michelle Loi, "De Louis")は衝撃的だ。市田良彦の『ミシェルのこと、ルイのこと』はその訳者解説のようなものだ。それによると、ミシェル・ロワというひとは、「数千頁に上る80年代のアルチュセールについての回想」を書いた(p.88)。"De Louis"は「パリの現代文学資料館(Institut memoire de l'edition contemporaine)に保管されている。現在のところ刊行の予定はなく、閲覧にも著者による許可が必要。」(p.100)つまり、「原テクストが事実上非公開」(同箇所)なのだという。

しかし、どの号とは敢えていわないが、浅田彰斎藤環中井久夫が「トラウマと解離」という鼎談をやっていて、それを読んで猛烈に不愉快になり激怒してしまった。非常に健康に悪い、と思う。浅田彰の意見は、みんなフリーターになって自我が弱くなったなどという石原慎太郎と大差ないというか、消費社会やメディア化(携帯電話など)が進んで若者が幼稚になった、だから解離だとかひきこもりだとかいうのだ、ひきこもっている奴には「欠乏」を突き付けて「現実原則」を思い知らせればそれで治るのだ、甘えているのだ、というものだ。人格の統一感が稀薄になることや解離やひきこもりについて浅田彰がどう思おうと私の知ったことではないが、そのようなことを書いた文章など二度と読みたくないというのも私の自由だ。

例えば、解離や多重人格など、人格の統一感、統合されているという感じがなくなるのは、哲学でいえば「超越論的統覚X」を語るカントから観念連合しかないというヒュームへの退行であり、精神医学でいえばフロイトからジャネへの退行だなどというが、実際の病気はそういうこととなんの関係もない。浅田が勝手にそう解釈しているだけだ。

浅田彰らに限らず、精神疾患のありようが変容してきたことを否定的に語る哲学者や精神医学者は無数にいる。例えば晩年の木村敏は「分裂病の軽症化」を指摘した。つまり、昔のような、狂人といわれてぱっとイメージするような、「ザ・狂人」みたいな重篤な精神病患者がほとんどいなくなり、多くが人格障害などになった。木村敏であれ、香山リカであれ、或いは今私が読んだ鼎談の浅田彰斎藤環中井久夫であれ、みんなそのことに否定的だ。だが私には不思議でたまらない。重篤で不治の分裂病者がいなくなり、分裂病統合失調症になっても薬で或る程度治るようになったというのは歓迎すべきことではないのか? なぜ、昔はよかった、的なノスタルジーになるのか? 神経症うつ病人格障害などがそれほど嫌いで不愉快だからバカにしているのか?

フロイト分裂病者が嫌いなのだとドゥルーズはいったが、しかしそのようにいう彼は、神経症者やうつ病患者などが大嫌いなのだ。うつについてのドゥルーズの意見は、古い石頭の頑固なオヤジと同じで、病院に行って医者にかかったり、精神分析やカウンセリングを受けたりするな、薬も飲むな、誰かに自分のつらさを話したり、表現したりもするな、ただ自分の家、自分の部屋で自分独りで我慢しろ、というものだ。だが、そんなバカげた意見を聞き入れる必要などあるのか?

ドゥルーズがものを書いていた頃は境界例人格障害もインターネットもなにもなかったが、もし彼がそれを知ったら猛烈に嫌悪しただろう。全否定し批判しただろう。しかし、患者が自分のかかる病気を自ら選択することなどできるのか? それにドゥルーズや浅田が何を言いどう解釈しようと、インターネットなどメディアなりコミュニケーション技術が発達し、社会そのものや個々人のありよう(人間性)がいかに変化・変容したのだとしても、そのことは別に私のせいではない。

ドゥルーズはなぜ分裂病者が好きでうつ病の患者は嫌いなのか。答えは簡単だ。『青年期境界例』の著者がいうように分裂病は「独りでやれる」病気であり、ゆえにフロイトのいうように分裂病者は「哲学者に似ている」からだ。しかし、うつ病神経症はそうではない。ドゥルーズはそのことを、病毒を他人に撒き散らす、感染させるなどと言って罵倒する。しかしもしそのように考えるなら、境界例=ボーダーライン=境界性パーソナリティ障害などはもっと強く深い意味で「独りではやれない」「他者巻き込み型の」疾患だ。もしそのような病気をドゥルーズが知っていたならばどういう激烈な否定的な反応をしたかは容易に想像がつく。しかし、繰り返しになるが、現実に無知な哲学者がどう考えようと、好もうと嫌おうと、患者が自分のかかる病気を自分で選べるのか?

もっといえば、ドゥルーズにとって分裂病者は「絶対の深層」「文学の完成」等であるのに対し、うつ、神経症人格障害は平凡でありふれておりつまらないから嫌いだということだ。しかし、誰であれ、ドゥルーズ浅田彰を楽しませるために病気になるわけではない。凡庸な病気にかかってはいけないとでもいうのか? そんなことは患者本人にはなんの関係もないことだ。つまり、病人自身には自らの病気が、彼自身は病気でもなく苦しんでいるわけでもない哲学者や批評家の審美眼にかなうかどうかなど全く関係ないのだ。

うつ病の患者が訴える苦しみが、極めて凡庸でありふれているので話を聴いていて退屈だということは、中井久夫のような精神科医もどこかで書いている。しかし、患者は別に医者のオモチャではなく、医者を楽しませるために苦しんでいるわけではない。確かに『シュレーバー回想録』に書かれてあるような分裂病の妄想は、ユニークでオリジナルで楽しく面白いかもしれない。うつ病神経症人格障害の人の訴えはありふれていてつまらないかもしれない。しかし、患者は芸術家ではないし、また哲学者、批評家、精神科医に娯楽を提供するために病気になったわけでもない。彼らにサーヴィスする義理があるわけでもない。

中井久夫にせよ、そういうふうに常日頃考えているから、前に紹介したような、分裂病者の死に様は崇高で人を感動させるが、うつ病患者の死に様は見苦しいなどという発言が飛び出してくるのだろう。だが別に人は医者を感動させたり楽しませるために死ぬわけではない。

「以上述べてきた境界水準の機能は一対一の(二者の)人間関係のなかでもっともよく現われる。境界例という「病気」はひとりではやっていられない。境界例のいるところ必ずといってよいくらい相手(パートナー)がいる。母親、配偶者、ボーイフレンドやガールフレンド、あるいは治療者といったパートナーを得て、境界例の病理は花開くのである。むろんほとんどの精神障害は対人関係論的にとらえうるもので、その病理を他者を抜きにして語ることはできないが、それにしても、たとえば精神病院の片隅でわれわれには常同行為としか見えない行為をひとり行なっている分裂病者などを見ると、分裂病はひとりでやっていられる病気に見える。分裂病者は病院のなかでもそれぞれにひとりで生きている。ところが境界例は入院するとすぐパートナーを見つけ出し、パートナーとの二者関係のなかで病理を顕在化させる。」成田善弘『青年期境界例』(金剛出版)、p.94-95

境界例と自己愛の障害からの回復
http://homepage1.nifty.com/eggs/

「さらに訳者は、ちょうどベルリンの壁が打ち倒された直後でもあり、東欧における急速な共産主義勢力の崩壊についても尋ねてみた。当時、新聞の報道は、一般に、東欧の解放という明るい見通しのもとでなされていたように思う。ところがドゥルーズは、バルカン半島はふたたび混乱の渦に巻き込まれ、多くの地域的な紛争が発生するだろうと断言された。そのときは、ドゥルーズのひどくペシミスティックな発言にやや納得のいかないものを感じたのだが、いまとなってみれば、ドゥルーズの予言は、まったく正しかったわけである。」財津理「解説にかえて」、ジル・ドゥルーズ『差異と反復』(河出書房新社)、p.512.

小笠原晋也はラカニアンで、精神病/神経症/倒錯しかない、と考えていた(つまり精神病とも神経症ともいえない境界状態はありえないと思っていた)。どうみても統合失調症ではなく境界例にしかみえない知人が彼のクリニックに通院していたが、診断は頑なに「統合失調症精神分裂病)」であった。ところが、小笠原晋也が殺人事件を起こした。自分の患者である女性と恋愛してしまい、その痴話喧嘩がもつれて、その女性を殺し、自らも自殺を図ったが、以下のリンクの記事では懲役9年で服役ってことは自分の命は助かったってことだろ。そういう人が人格者がどうのとか言っていることが余りにも皮肉だ。幾重にも問題でしょう。精神科医精神分析家が患者と付き合うこと自体、問題だが、実はそういう人は多く、ガタリも患者と付き合っていた。結婚していたと思う。ガタリは愛していたのだろうが、どうしてもその女性を治すことができず苦しんで泣いていたのをネグリが目撃している。小笠原晋也の場合に戻ると、患者と付き合ってしかも殺してしまうとか大問題でしょう。アルチュセールのケースのように責任能力がないわけでもない。だって病人じゃなく医者だからね。ちなみに私の知人は小笠原晋也が逮捕された後別の病院に移ったら、そこではちゃんと境界例と診断され適切な治療を受けました。今は多分幸せに暮らしているだろう。絶交したのでよく知らないが。

Ustreamの時間なので短く簡潔にいいます。幸せになるのは無理だと思う。私には感情がないから。若い頃親しんだ本でも読めば暗鬱な気分も少し変わるかと思ったが間違っていた。アルチュセールネグリを読んでも、彼らはそう考えたんだな、と思うだけで、同意も納得も共感もしない。説得もされない。例えばネグリが「喜び」を語るとするでしょ。読む私は、この人は喜びを語っているんだな、と単に事実を事実として認識するだけで、自分は別に喜びなど感じない。論理的に納得もしない。家族は、休めというのに聞き入れず一日中読書、抜粋している私が倒れるんじゃないか、といっている。また、常に性急な私をみていて息苦しい、ともいっている。私自身は、それでしょうがないと思っている。

数分しか時間がないので少しだけ書きますが、アルチュセールにせよ、気の毒だとは思うが、彼の主張は強引過ぎるとしか思えません。ウィトゲンシュタインにせよ、『論考』からただ一文だけ引っ張ってきて、出来事が降ってくる、とかいうのはこじつけだと思います。ハイデガー解釈も当たっていると思いません。アルチュセールは自分は「哲学」を拒否するというが、結局彼がいうのも、偶然、不確定性の「哲学」なんじゃないの。そう思うけど。ネグリドゥルーズの『マルクスの偉大さ』についていっていることにしても、まず、テキストがないから証拠がない、実証できない話だとしか思いません。万一、死を目前にしたドゥルーズネグリのいうようなことを考えていたとしても、それが哲学的、政治的に意味があると思いません。『差異と反復』から変わっていなかったんだな、と思うだけです。では、時間がきましたので、続きは後ほど。

前も書いた通り、私も、身体を持つこと自体が苦痛だと思ったが、アルチュセールもそのように感じていたということに驚いた。そして気の毒だと思った。結構似たようなことを考えている人は多いのだろうか。それにしても、アルチュセールは、妻を殺しても、記憶が滅茶苦茶でも、借金を忘れても、フェラーリを注文しても、要するに客観的には気違っていても、自分は狂っていない、狂人ではない、と言い張っていたそうだが、しかしそれって、どんな酔っ払いも自分は酔っ払ってないと言い張るとかいうのと同じレヴェルのことなのではないか? 自ら私は狂っている、狂人だなどという人はいない。しかし、それでも実際には狂人であり、精神病者である。精神分析医には哲学者の自分を治療はできても解釈はできない、なぜなら自分は彼らを無限に論駁できるから、という理屈も、ただ哀れとしか思わない。というか、精神分析医を論駁してやりこめてしまってどうするんだ。意味が分からない。

反対意見も多いとしても、それでもアルチュセールは世界的な大哲学者ということで通用しているんでしょう。たとえ思考や議論に飛躍や破綻があっても素晴らしい偉大な哲学理論だということで通っているんでしょう。ラテンアメリカなどで広く読まれているんでしょう。これはどういうことなのか?

《彼の書くものに度々飛躍が見られ、周りの者がしばしば「もう付いていけない」と感じるのは、新しい境界線を引いて分化が起きる度ごとに、彼が、自身で「墜落 chute」と呼ぶ精神の闇、意識の空白への遡行を行っているからである。》というように市田良彦が解説する通りなのだとしたら、ではそのようなアルチュセールの著述は他者(読者)に合理的に読解可能なのか? 読者が「もう付いていけない」と感じるというのも当然なのではないか? 実際、今日、最晩年のアルチュセールを読んでみて私自身もそう感じた。凡人には分からない哲学だということか?

アルチュセールに限らないが、現代フランス思想、現代フランス哲学(といっても、21世紀の現在、ということではなく、20世紀後半にフランス、パリで展開された知的運動ということだが)というのはなんなのか、ということも考えてしまう。フーコーの文章は合理的に読めると信じるが、ではラカンはどうか? 『エクリ』は果たして(フランス語であれ日本語であれ)「読める」ものなのか? アルチュセールはどうか? デリダはどうか?

話は変わるが、哲学のほかは精神医学関連の本を読むことが多いが、今日読み返した(大体15分か30分くらいで一冊読んでしまう)成田善弘『青年期境界例』(金剛出版)にも、自殺してしまった患者の症例が出てくる。精神医学の症例報告には当然だがそういう例も多い。木村敏分裂病現象学』にも出てきたと思うし、その木村が訳した『自然な自明性の喪失』の有名な女性患者も最後は自殺だったと思う。私は読者で、ただ単に読むだけだが、痛ましいことだと思うしつい涙してしまう。『青年期境界例』の若い男性患者は、これまで自分はスーパーマンを目指していたが、これからは普通に生きたい、と希望を述べるが、しかし間もなく症状が悪化して飛び降り自殺してしまう。そういうのを読むと悲しいと感じる。

『青年期境界例』は私はもう10年以上も繰り返し読み続けている。

木村敏の叙述は大昔読んだ記憶だけで言っているのだが、当時私は、彼の書きぶりでは、自殺していった患者はまるで悲劇の主人公のようだ、と感じた。実際精神病なり分裂病の経過が、悲劇を思わせるプロセスを辿る場合もあると思うし、それはそれでしょうがないのかもしれないが、しかし医者としては、患者に死なれたならばそれは医療行為の失敗ではないのか、患者の自殺という選択の崇高さを美化するような言説でいいのだろうか、とは思う。

それと、昨晩抜粋紹介したように、ドゥルーズガタリは、フロイトには分裂病者を獣のように取り扱う傾向がある、とか言っていたが、人間扱いしないという点では主流の精神医学(クレペリンなど)のほうがひどかったのではないか。それは『わが半生』(同時代ライブラリー)などでレインが強く非難していることだし、ベイトソンも批判していることだ。ちなみに、市田良彦の書いたものを信じるならば、アルチュセールの記憶が飛ぶようになったのは、電気ショック療法を受けてからだという。パウエルと同じだ。昔の精神医学は野蛮だった(今も?)ということだろうが、それはそれこそ悲劇的というか悲惨なことだと思う。

それと『Imago』掲載の小笠原晋也のエッセイ(「論文」などという大したものではない、と思う)だが、抜粋紹介しなかったが、彼はパーソナリティ障害を「理想」(フロイトラカン派では、自我理想と理想自我とか、様々なレヴェルで「理想」が語られる)の問題だとし、2つ事例を紹介していたが、なんというか、身につまされるというか、私も同じだと思った。1つ目は、経団連の会長になるんだという理想(妄想?)に取り憑かれ、そのためには○○大学(法政大学だったっけ?)に行かねばならぬ、とかいって10年も浪人しながら勉強を続けているという人。2つ目は、仏文学者になるんだと勝手に言い張って、自宅で自己流の勉強をもう5年以上も続けているという人。自分がYouTubeを撮影したり、はてなダイアリーFacebookに書くのも彼らと同じかもしれないと思った。つまり、叶うはずもない理想なり夢を無意味に追い続けている、ということだ。小笠原晋也は奇妙なことをいっている。実は彼らはもう既に、経団連の会長であり、仏文学者なのだ、現実にそうなのだ、などといっている。私には意味がよく分からない。それは「妄想」ということではないのか? 違うのか? むしろ小笠原晋也のほうが狂っているのか?

私が激怒した鼎談「解離とトラウマ」では解離とか多重人格を流行として批判している、というか、バカにしているのだが、しかし数十年前、同じような仕方で境界例が流行っていた、というか、余りにもボーダーの人が多く、治療困難なので問題になっていた、つまり「境界例の時代」があったということが忘れられている。その頃も、鼎談で浅田が軽蔑的に言っているように、社会環境の変化と未成熟、幼稚さみたいなものがよく安易に結び付けられていた。

最近はもう「境界例の時代」ではなくなってしまったのか、どうかなどは私には分からないのだが、境界性パーソナリティ障害原因論をどう論じるにせよ、社会環境、社会的諸条件の変化が何か関係しているであろうということは推測がつく。ちなみにデス見沢先生(彼は絶滅危惧種現象学派である)の考えでは、境界例統合失調症の「薄い」ものだということだが、それは彼の憶測でしかなく、実証されている話でもないし、現段階の技術水準では実証可能なわけでもない。デス氏が医者としての経験からそう思う、というだけだ。しかし、現実の病の表現のされ方という点では、統合失調症のようなものと境界例境界性パーソナリティ障害はまるで違う。参考になるかもしれないことを一つだけいうと、2ちゃんねるには、ボーダーラインの当事者が立てたスレはないが、ボーダーの被害者と称する人のスレは沢山あり、ボーダーへの罵詈雑言でひたすら盛り上がっている。それほどまでに、境界例に振り回された、傷付けられた、被害を蒙ったという人が多いのだろうか。確かに成田善弘もいうように、境界例というのは他者を巻き込む疾患だとは思うが。

私が腹を立てたのは、浅田彰が、最近の若者は携帯電話などで無意味、無内容な話を延々続けている、コミュニケーション能力がない、とかバカにしていることで、あなたは30年前、当時の若者らに向けて「逃げろや逃げろ」と煽動したんじゃなかったのか、そのあなたが歳を取ったら現在の若者世代にお説教するようになるのか、それもごく詰まらない、くだらない俗論で、何様のつもりか、と思う。

話は飛ぶが、ドゥルーズは自分の「管理社会について」というエッセイを完璧にマルクス主義的だと自画自賛していたが、私はそれに同意しない。そのエッセイで援用されているのはウィリアム・バロウズだが、しかし、ドゥルーズバロウズの言っていることをちゃんと批判的に吟味して読んだのか? バロウズが語っているのは相当妄想的と言われても仕方がないようなことで、例えば「言語は宇宙から降ってきたウイルスだ」とかいうものだ。それと現在の管理社会となんの合理的な関係があるのか。バロウズの妄想くらいしか論拠がないエッセイを、私のエッセイは完璧にマルクス主義的ですとか言われても困る、というのが正直なところだ。ドゥルーズは、フーコー的な「規律・訓練(ディシプリン)社会」の先にあるもの、現在の状況を透徹した分析能力で指摘していて立派だ、などとよく言われるが、私は全くそうは思わない。だいたい、不登校や登校拒否など、管理(コントロール)に反撥する抵抗の実践や運動は昔からあったし、それは別に「完璧にマルクス主義的」でもなんでもないが、そちらのほうが重要だと私は思う。

もう一つ。変なブログを読んだことがある。NAMの頃だと思うが、どこかで柄谷さんがコミュニズムを語る講演をしたらしい。で、そのブログの人が質問して、フェリックス・ガタリコミュニズムとは特異性の解放であるといっているがあなたはどう思うのか、とバカな質問をして、柄谷が私も同意見ですと言ったというので、そのブログの人は、なんて謙虚な人なんだ、みたいなしょうもない感想を書いているのだが、客観的にみて、協同組合とか地域通貨でやりたい、やれるんだという当時の柄谷さんのコミュニズムと、特異性の解放とかいうガタリコミュニズムとで、考え方が違うのは自明なんではないのか。ネグリドゥルーズに帰している、コミュニズムとは多数多様性が共通のもの(多分〈共〉とか訳されることが多いcommonではないかと思う、原文を確かめたわけじゃないが)になることだ、みたいな主張にしても、柄谷さんとは違う。ドゥルーズは『差異と反復』において既に、多数多様性、多様体と彼が呼ぶものを大文字の《理念》と呼んでいたわけだが、プラトンとの相違は、プラトンイデアは《一》なるもの、統一的なものであったのに対し、ドゥルーズの大文字の《理念》は《多》、多様体であり拡散的なものだということだけだ。潜在的、潜勢的な大文字の《理念》=多様体の実現なり現実化、現勢化(ドゥルーズでは「実現 realisation」と「現勢化 actualisation」は全く別だが、この場合どちらになるのか正直分からない)をコミュニズムと呼ぶことにした、というのでは、『差異と反復』の存在論的な思弁をコミュニズムという表現、言葉で言い直しただけではないか、と思う。

もしドゥルーズマルクス論の内容がネグリが報告しているようなものなのだとしたら、自分が急務だといっていた、世界市場の分析とか一切やっておらず、60年代と変わらない存在論的な思弁をやっているだけじゃないか、と思う。昔から左翼哲学者で変な「理論」を考える人は無数にいた。梯明秀の「物質の現象学」とか。ガタリの『分裂分析的地図作成法』もそういうしょうもない破綻した「存在論」でしかないでしょう。ネグリだってそうでないという保障はどこにもない。アルチュセールにせよ。ネグリが言うのが正しいなら、ドゥルーズコミュニズムなるものもそういう畸形学的な概念なんじゃないかな、と思う。

アルチュセールが強調するのは、スターリンが確立した弁証法唯物論なるもの(ディアマート、と呼ばれる)が哲学的には矛盾というか、彼の表現では、「黄色い対数」のようなものだということだが、それはそうかもしれないが、そのようにいうご自分のマルクス主義(哲学)は合理的に読解可能なものなのか。

左翼哲学者の変な理論の数々、といった畸形学的なリストはまだまだ続くかもしれない。例えば廣松渉の存在と意味の四肢構造。戦前にしても三木清の協同主義は勿論、戸坂潤の「哲学」にも、例えば福本和夫は批判的だった。あれはマルクス主義じゃないと言っていた。別にマルクス主義でなくてもいいだろうし、戸坂潤の「常識」概念の分析とかは読んで面白いからそれはそれでいいと思うが。戦前にはエンゲルスの『自然弁証法』を邦訳した加藤正っていう人もいて、この人はそれを自分が訳したから自然弁証法に拘ったのだが、弁証法というのは人間が関わる領域、例えば歴史についていうべきもので、数学とか物理学などに言うべきものではない、と考えるべきだと私は思う。そういえば畸形学的というべきか分からないが、福本和夫も「窮通の理」という非常に変なテキストを書いている。それも面白いからいいのだが、しかし、マルクス主義なり社会思想ってのは読んで面白ければ、楽しければいいというものなのだろうかという根本的な疑問がある。

変な理論、畸形学的なリストということだと柄谷さんの言説も完全に該当する可能性もある。彼は自分は『資本論』を完璧に理解した、と自慢しているが、しかし、「交換様式」から一切を把握するというのはマルクスではないでしょう。労働価値説や価値実体論を切断する、切り捨てるのもマルクスではないでしょう。資本主義=ネーション=国家が「結婚」し、「ボロメオの環」をなしているので、それは解消困難という認識も一般的なマルクス主義とは違うでしょう。それと彼はアソシエーショニズムだけれど、田畑稔の『マルクスとアソシエーション』とかは普通に合理的に理解可能だが、柄谷さんが使っているアソシエーション概念は余りにも多義的であり過ぎて合理的に読解することができない。文脈によって複数の違う意味で使っている。彼は自分で言うほど、自分でそう思っているほどマルクスなり『資本論』に忠実ではないと思う。というか、ヘーゲルとの関係ではなくカントとの対比でマルクスを読むという基本的な姿勢からしてそもそも妥当なのかという疑問もある。

サルトルの『唯物論と革命』を読んだが、私は彼なりに誠実というか、合理的に考えようと努力していると感じた。つまり、サルトルにとっては革命というのは倫理、政治の問題だから絶対に大事だが、しかし、だからといって、唯物論(特にスターリン主義的な「弁証法唯物論(ディアマート)」とか自然弁証法とか)を哲学的にどうしても承認できない。廣松渉は『マルクス主義の地平』(講談社学術文庫)で、もともと現象学から発想されているサルトル実存主義マルクス主義は両立不可能だと論じているが、確かにそうなのだろう。ただ、サルトルは彼なりに哲学者として誠実、合理的に懸命に考えてみたのだと思う。そして唯物論という哲学的立場に同意できないと思ったのだと思う。

レーニン研究の白井聡さんには悪いが、レーニンの『唯物論と経験批判論』のような哲学、というか哲学批判はどうなんだろうね。私は、反映論というのがそんなに立派な哲学なのかという疑問があるけれど。認識論として妥当なのかと疑っているけれど。むしろマッハとか批判されている人々の議論のほうに読む価値があると思うけれど(それについては廣松と同意見だ)。戸坂潤の言説で一番違和感を感じるのは「哲学のレーニン的段階」とかいって讃美し盛り上がっているところだ。「レーニン的段階」って、レーニンは哲学者なのかい。確かに『哲学ノート』でヘーゲルを徹底的に研究しようとしたのは凄いと思うが、だけれどもその結果出てくる意見が反映論のようなものではしょうがないんじゃないかと思うが。

アルチュセールレーニンと哲学』とかジジェクレーニン論(題名忘れた)に根本的に疑問なのは、レーニンロシア革命を指導した政治家、革命家として立派だったんだろうとは思うが、だからといって、哲学者とか理論家としても優れている、卓越しているということになるかというと全く別問題だと考えるということだ。私個人は。フーコーは、スターリニズムについて、哲学そのものが国家になってしまったというような超国家、その意味で怪物のような存在、といっているが、ソヴィエト連邦がどれだけ立派だったかは知らないが、おかしな哲学があたかも信仰のように強制され、それを信じない、同意しない人は強制収容所へGo!なんてのは最悪だと思うな。ソヴィエト連邦から中国から北朝鮮に至るまで、良くも悪くも、というか、私個人は良かった面などまるでないと思っているが、皮肉にもプラトン的な哲人王の理想を達成してしまったということでしょう。金日成金正日らにしても、主体思想などという、マルクスレーニンスターリン毛沢東を超えるような立派な人間主義的哲学とやらを拵えてしまった。それで日本人でも、赤軍の塩見さんのような人は、主体思想に、ヒューマニスティックで立派だ、などといって共感してしまうんだね。塩見さん個人は私は好きだが、そういうところが駄目だと思っている。そこから塩見さんの、フーコーだけが厭だ、我慢できない、なぜなら彼は反人間主義だから、というような議論が出てくる。「理論的に」人間主義であるか反人間主義的であるかは、「実践的に」、つまり現実の統治なり人民の取り扱いが人間的であるかどうかということとは関係ないんだけれどもね。

塩見さんにしたって、彼はあれほどネグリを讃美してやまず、是非日本に招聘して徹底的に意見交換、議論したいとか熱望しているのに、そのネグリに基本的なインスピレーションを与えた思想家の一人であるフーコーは全否定なのか、自分にはよく分からない。ニーチェ主義への強い偏見があると思う。確かにフーコーは、ドゥルーズなどと違い、自分は完璧にマルクス主義者です、などとは決して言わないし、マルクス主義的言説に強く懐疑的であったふしがある。彼が強調する強制収容所問題にせよ、東側諸国の問題、当時の共産党の左翼らが隠したかった問題だったしね。反共とまではいわないが、それに近いところがあったとは思う。しかしだからといって、私個人は、フーコーの思想の価値は下がらないと思う。

左翼の変な理論の畸形学的リストには吉本隆明の『共同幻想論』も入る。ただ、私の考えでは、吉本さんが著述を続けてきた動機ってのは初期から現在に至るまでただ一つしかないと思う。戦前のプロレタリア文学の理論に不満、ということだ。だから文学の言語なり芸術の言語を自分なりに考察したいというモチーフしか感じられない。だから、国家論や政治情勢論などは、吉本さんにとっては本質的な仕事ではなかったと思う。ただ、文学論とは別に彼が力を入れて書いたものに、『心的現象論』というのがある。『心的現象論序説』は刊行されているが、序論でなく本論は、非常に長期にわたって吉本さんの同人誌、というか個人誌である『試行』に連載されただけで、本になってないと思う。私は『序説』は読んだが本論は見たことがない。随分前から紹介したいと思っていて、機会がなかった逸話がある。それは、吉本さんが、『心的現象論』を執筆開始したとき、意気込んでヘーゲル全集を全部買い込んだという話だ(勿論邦訳)。吉本さんは自分はマルクス主義者だとかマルクス者だとかいうが、彼は基本はヘーゲリアン、但し非常に特殊で風変わりなヘーゲリアンなんじゃないかと思うが。

『心的現象論序説』にこんな議論がある。フロイトの『快感原則の彼岸』などを参照しながら、例えばアメーバのような原始的な生命を考えるとしても、いかなる生物、いかなる有機体も、ただ生きているだけで、生命なき自然から疎外されているんだという。吉本さんはそれを「原生的疎外」とかいっている。当然ながら、生きていること、生命ある存在であることそのものが疎外なんだから、その疎外の否定、打ち消しは死であり、無機的自然へと還ることだ。まあ私は、そういう発想もあるのかな、と思っただけだけど。その後彼は、三木成夫(だったっけ?)とかに影響されたり、どんどん変でわけのわからない人になっていく。

『心的現象論序説』(北洋社)より:原生的疎外の概念

吉本隆明『心的現象論序説』(北洋社)、p.21

まず、生命体(生物)は、それが高等であれ原生的であれ、ただ生命体であるという存在自体によって無機的自然にたいしてひとつの異和をなしている。この異和を仮りに原生的疎外と呼んでおけば、生命体はアメーバから人間にいたるまで、ただ生命体であるという理由で、原生的疎外の領域をもっており、したがってこの疎外の打消しとして存在している。この原生的疎外はフロイドの概念では生命衝動(雰囲気をも含めた広義の性衝動)であり、この疎外の打消しは無機的自然への復帰の衝動、いいかえれば死の本能であるとかんがえられている。

『分裂病の現象学』から抜粋

木村敏分裂病現象学』(弘文堂)、p.96-97.

アンネ・ラウは生来病弱で、内気でおとなしい、友人の少ない子だった。両親相互の間にも両親と彼女との間にも暖い人間関係は開かれなかったらしい。学校では成績の良い手間のかからぬ良い子だった。高校中退で就職したが、18歳ごろから態度が変に子供っぽくなって、しきりに寂しがるようになった。男性との交際はまったくなかった。20歳になって彼女は「自分の立場」がはっきりしない、「人並に」ちゃんとやって行けないなどと言っていたが、ある心的負担があった後に自殺を図って精神科に収容された。

アンネの訴えはきまって「自然な自明性の喪失」(Verlust der naturlichen Selbstverstandlichkeit)ということだった(この表現はアンネ自身によって述べられたものである)。「私に欠けているのは普通な当り前さということです」、「誰でも自分がどうすればよいか判っているはずです。その作法みたいなものが私には判りません。私には基本が欠けているのです」、「他人と付合うときに、ごく普通にこういうことは判っているんだということ、それがないんです」、「人と人を結びつける感情みたいなもの、人間らしいといえるために必要なそういった感じ、一番簡単なこと、そういったものを何も知らずにきてしまいました」、「何をしてもそれをちゃんとしているということがない、気分が伴いません」、「単純なこと、ほんの生きて行くのに必要なちょっとしたこと、それが私には欠けているのです」……。妄想その他のいわゆる病的体験は終始認められなかった。2年余の治療でかなりの改善が認められた矢先、患者は遂に自殺に成功する。

木村敏分裂病現象学』(弘文堂)、p.346.

常識的観点に立つならば、彼女の自殺という終末は治療の決定的敗北を意味するだろう。事実、彼女の正気への還帰を一種の自己満足で眺めていた常識的治療者の一人としての私にとっては、彼女の死は痛烈な打撃であった。しかし、彼女の生活史的な苦痛をわがことのように感じとって、彼女との「苦痛共同体」に参加していたもう一人の私にとっては、もしも彼女がもう一方の選択を、つまり自己を失った人形的存在への退却という選択を選びとって、両親のもとに安住するという事態の方を招いたとしたならば、その方がもっと無残な敗北を意味したのではなかっただろうか。さらに今度は彼女自身の立場に立ってみるならば、自殺の成就はむしろ輝かしい勝利を意味していただろうとすら思われるのである。この「勝利」は、娘の自殺を平然と受けとめ、安堵の色さえ浮かべた両親の「解放」と、正反対の方向において奇妙な結びつきを示している。

この短い一生のエピローグから、私はビンスヴァンガーの有名な症例エレン・ヴェスト(『精神分裂病I』、みすず書房)の「悲劇的」な結末を想起せざるをえない。この症例が発表された時、精神療法家の間では、ビンスヴァンガーが彼の患者の自殺を淡々と叙述し、これを讃美さえしている態度についてある種の非難の声が聞かれたものである。しかしビンスヴァンガー自身も言うように、エレンは彼女の死に直面することにおいてはじめて「単に自己自身に到達したのみならず……自己自身および世界から解き放たれた」のであって、このような見方は真に患者と苦悩を共にした治療者が自己の無力を痛感したときにはじめて可能な見方であるといってよい。エレンの死も、私の患者の死も、ともにいわば他人にとっての自己、世間にとっての自己から最終的に自己自身を奪い返す最後に残された手段として、きわめて実存的な死であった。

『レインわが半生』からの抜粋

R.D.レイン『レインわが半生:精神医学への道』(中村保男訳、岩波書店、同時代ライブラリー)、p.17-19.

精神科医は、ある種の人たちとそれ以外の普通人との間には埋めることのできない溝がある、と倦まずたゆまず私たちに説いている。カール・ヤスパースはその溝を差違の深淵と呼んだ。マンフレート・ブロイラーは全面的差違とそれを呼んでいる。いかなる人もこの溝に橋をかけることはできない。世の中には「奇妙で、謎めいていて、とても考えられそうもなく、不気味で、感情移入をすることができず、不吉で、ぞっとするような人たちがいるのであり、対等な人間として彼らに接することは不可能なのだ」とはマンフレート・ブロイラーの言葉である。ブロイラーもヤスパース精神分裂病者のことを言っているのであり、精神分裂病者は正統精神医学によると私たちのうち10人に1人以上の割りで存在していることになっている。

これは大変な発言であり、これが大変であるのは何も精神科医にとってばかりではない。以上の発言は、多くの人たちが共通して感じていることを表現しているのだ。これに対してアメリカの精神科医ハリー・スタック・サリヴァンはやむにやまれず、こういう人たちは、他の何であるよりもまず「あくまでも人間」なのだと公言した。

カール・ロジャースが私に言ったことだが、マルティン・ブーバーはあるときロジャースに、精神分裂病者は「我-汝」関係を結ぶことができない、と語ったという。これが精神医学の立場を要約しているのだが、この立場に対して私は異議がある。こういう一般論は、このような人たち(精神分裂病者たち)と付き合った私自身の経験と一致しないのだ。精神科医たちは、そう言う私は自分を欺いているか、ないしは私自身が彼ら(精神分裂病者)と同類であるか、または、彼らには治療など必要ではないのだと思わせようとしているのだ、と言う。とんでもない。彼らには本当に「治療が必要」なのだ。彼らがどのような治療を受けようとも、「われわれ」としては、「彼ら」がいかに「われわれ」と異質であろうと、われわれ自身と同じに「あくまでも人間」として「彼ら」を扱うことを断じて忘れてはならないのである。

成田善弘『青年期境界例』(金剛出版)より「症例III ヒロシ(仮名)」の抜粋

成田善弘『青年期境界例』(金剛出版)、p.120-123.

症例III ヒロシ(仮名) 男性 初診時17歳
この例は贈り物を直接患者から受け取ったのではなく、患者が亡くなったあと、その母親から贈られたものである。不幸な転帰をとった例で、治療者として慚愧に耐えないが、私にとって忘れ難くかつ教えられるところが大きかったので、ここに書いておくことを許していただきたい。

ヒロシは不潔恐怖、洗滌強迫・過度の完全主義など重症の強迫症状を呈していた。

子どものころから学業成績は抜群で、母親の期待も大きく、教師からも将来は東大といわれて育ち、自分もいずれ人名事典に載るような偉大な学者になると思い込んでいた。ところが中学3年ごろから強迫症状が出現し、高校に入って増悪。17歳で大学病院を受診し、私が治療を担当することになった。ヒロシは治療者がまだ若く権威のないことに不安と不満をもつ。入院するも母親との分離に耐え切れず、無断離院して自宅へ帰ってしまう。強迫症状のため自分では身の回りのことができなくなり、洗面、ひげ剃り、着脱衣に母親の介助を要求し、常に母親にまとわりつき、母親が望み通りにしてくれないと叩いたりする。二度ほど往診して入院を促すも応じない。ほぼ2年近く母親のみが通院。

母親はしっかり者で、家庭では影の薄い父親を助けて家業を支えつつ、息子にも献身的といってよい世話をする。「僕のために実によく尽してくれるマリア様のような母」というヒロシの言葉が私にもうなづける。母親はヒロシの乱暴や退行した言動にもよく耐え、今までの過大な期待を反省し、「もう一度子どものときからやり直すつもりでいます」という。治療の行き詰りに無力感に陥りがちな治療者の方が、この母親から励まされるように感じたことさえある。

22歳のとき、ヒロシみずから母親との分離を目指して再入院。「今まではスーパーマンになろうとしていた。今は自分がとても弱く無力に感じる。大きな手につつまれていたい」と述べる。このころから無力感、将来への不安が前景に立ち、不眠や自律神経症状が出現。「将来が真暗」と訴え、ある冬の日、付添っていた母親がジュースを買いに出た短い間にみずから命を断った。母親はとり乱しはしたが、治療者である私への非難、攻撃は一言も口にせず、遺体を引き取るときにも「本当にお世話になりました。先生のことは決して忘れません」といってくれた。

葬儀の日に会葬者の一人として参列させてもらうつもりで出かけたところ、親族の席に招じられた。焼香が始まり、両親についで私の名が呼ばれた。この焼香順に当惑しつつ焼香をすませた。私の後に親族が続いた。

数日後、母親が病院を訪れ「これはヒロシからです」と電気カミソリをくれた。退院できたら先生にあげたいと息子が常々いっていた、ですからこれは息子からです、と母親はいう。そして、彼ははじめは治療者の権威のなさに不満を抱いていたが、のちには深く信頼し、自分もいずれは人の苦しみのわかる人間になりたいといっていた、と語ってくれた。それから母親は「これは先生の書籍代に」といくばくかのお金を差し出した。固辞して押問答したが、「ヒロシの父親も望んでいることです」という母親の言葉に押し切られて、ありがたくいただいた。このお金は今は数冊の書物となって私の書棚にある。母親には御礼とお金の使途を報告する手紙を書き、その後は会っていない。

症例IIIヒロシについての考察

ヒロシが私を同一視していたことには治療中から気づいていた。彼は同一視している治療者の無精を電気カミソリで修正したかったのであろう。彼自身は症状のため自分でひげを剃ることができず、いつも母親にきれいに剃ってもらっていた。

母親に書籍代としてお金を差し出され、固辞して押問答しているうちに気づいた。葬儀のときの焼香順は、もしヒロシが生きてあれば彼の順番だったのだ。両親は私を息子の位置に置いてくれたのだ。このお金は本来彼の学資になるはずのものなのだ。カミソリもあるいは母親が息子に与えるはずのものかもしれないのだ、と。患者だけでなく両親も私を患者(よい息子)と同一視していた。医師のなかに息子を見ることは、大切な息子を喪った母親の補償の試みでもあったであろう。また、贈り物の背後には、息子を死なせてしまった医師への隠された攻撃心に対して心的バランスをとる必要性もあったであろう。私はありがたいと同時に申し訳なくておおいに困惑したが、今は母親のこの同一視を引き受けることが無能な治療者であった私にできる唯一のことかもしれないと思い、差し出された書籍代を受け取った。

振り返ってみると、母親によるヒロシと私との同一視は、ヒロシが亡くなった後に始まったことではなかったようである。ヒロシが症状がひどくて来院できず母親のみが通院していたころ、私には母親が治療者である私を理想化しているように感じられた。病状の経過が思わしくなく、母親は不安になって面接日以外にもよく電話してきたりしたが、治療者としての私を決して責めなかった。むしろ無力感に陥りがちな私を励ますような態度をとり、「お世話になる御礼に」とときどき図書券を贈ってくれた。私の方も、ヒロシの強迫的なあるいは退行的な要求にけなげに耐えてきちんと通院する母親に感動し、「僕のために本当によく尽くしてくれるマリア様のような母」というヒロシの言葉ももっともだと思ったりしていた。「よい母親から愛を与えられるよい息子」というヒロシの幻想、それは同時に母親の幻想でもあったろうが、その幻想を母親と私とで治療場面で共演していたことになる。母親がしらずしらずヒロシを束縛していること、そしてヒロシがこの束縛をいまだ抜け出せないでいることが大きな問題だと私が一方で気づいていながら、これを母親との面接で十分とり上げることができなかったのは、この幻想のゆえであったかもしれない。ヒロシも母親への批判、攻撃をなかなか言語化できなかった。それが「悪い母親と悪い息子」という分裂・排除された対象関係を実現することになるので、彼に罪責感を惹き起こしたからであろう。母親は私に「先生のことは決して忘れません」といってくれたが、自分の「よい息子」を決して忘れることはないという意味であってみれば、当然の言葉であったのかもしれない。

彼の冥福を祈る。

小笠原晋也「ナルシシスムと主体の分裂」抜粋:「理想」概念を巡って

小笠原晋也「ナルシシスムと主体の分裂」『imago』「特集=境界例」(1990年10月号、青土社)p.126-128.

いわゆる境界例の概念に無効を宣告することを主要目的とする私のこの小論の最後に、「理想」(das Ideal)の概念に触れておきたいと思います。というのも、小出浩之先生の大変示唆に富む論文は、「理想」をその鍵言葉としているからです。

小出先生は、いわゆる境界例を、DSM-IIIに準拠して、「境界人格障害」(borderline personality disorder)と「分裂型人格障害」(schizotypal personality disorder)とに分け、DSM-IIIの基準によって診断された「境界人格障害」の一例と「分裂型人格障害」の二例とを提示しています。

入院中のこの「境界人格障害」の患者は、「良い自我のイメージを保てなくなるたびに外出を要求し、(外で)良いイメージの人に出会うと、その人のイメージを抱いて戻って来るが、それが壊れてしまうと、また外出を要求する」。良いイメージを提供してくれた「他者のなかに悪い点が現れると、(患者は)それにこだわり、それを消し去ってくれ、と相手にせがむ。(中略)相手がそれに応じないと、ますます相手のイメージのなかの悪い部分は大きくなり、(患者は)様々なアクティングアウト──例えば、相手をなじる、誘惑する、試す、相手の気を引くようにすねる、等──を生ずる」。患者は、「次の理想の他者を求めて、同じことを繰り返す」。要するに、「境界人格障害」の患者は「他者のイメージのなかに自己の理想を見出し、その他者を理想化し、その他者と同一化しようとする」が、それは決してうまくいかない。

これに対して、「分裂型人格障害」の或る患者は、「一橋大学を出て将来は経団連の会長になるために、十年ちかくも浪人し、家にこもって『勉強』している」。また、「分裂型人格障害」のもうひとりの患者は、「有名な某仏文学者にあこがれ、高校を中退して、我流の仏文学研究だけをして数年間を過ごしている」。要するに、「分裂型人格障害」の患者は、「高い評価を受けている(あるいは受けるであろう)人」と同一化している。

さて、ラカンフロイトのテクストから出発して、理想について、"Ichideal"(我の理想)と"Idealich"(理想の我)とを分別しました。セミネールXIにおけるラカンの公式によれば、「我の理想」とは、「そこから主体はおのれをまなざすところ」"la d'ou le sujet se regarde"であり、他方、「理想の我」とは、「そこに主体はおのれを見るところ」"la ou le sujet se voit"です。更に、「我の理想」は、「徴の同一化」(identification symbolique)にかかわり、その核ないしその基礎をなすのは、フロイトの表現に言う"einziger Zug"です。ラカンにより"trait unaire"と翻訳される"einziger Zug"を、我々は、「一元特徴」と訳しておきましょう。「一元」は、例えば関数について、「一元関数」(unary function)、「二元関数」(binary function)等と言う時の「一元」です。他方、「理想の我」は、「実」(reel)のものとしてはもともと失われてしまった一次的ナルシシスムの「想」ないし「虚」(imaginaire)の代理です。そして、「我の理想」と「理想の我」との関係は、次のように公式化されます──「我の理想」に従うことによって、主体は、「理想の我」として、想の──あるいは、虚の──ナルキッソス的満足を与えられる。あるいは、ラカンの光学的シェーマに従って言うならば、主体は、「我の理想」の座からおのれをまなざすことによって、ナルキッソス的満足を代理する「理想の我」の虚像を見る。ただしフロイトはナルシシスム論文において、こう付け加えています──「神経症者は、過度の客体充填によって、我において貧しくなり、我の理想を成就することができない」。

小出先生による「境界人格障害」における理想の機能の分析は、この種の患者がまさに神経症者であることを示しています。患者は、理想の我のナルキッソス的満足を得るために、他者と、その他者の何らかの一元特徴を介して、同一化します。しかし、その満足は、たとえ得られたにしても、所詮、想の満足、虚の満足にすぎず、患者は、実においてナルシシスムの理想を成就することができません。神経症者、およびいわゆる正常者においては、ナルシシスムは、実のものとしては、失われたナルシシスムなのです。

これに対して、「分裂型人格障害」の患者は、まさに実において、理想の我を実現しているように思われます。それが彼らにとっては既に実のものとなっているのでなければ、どうして彼らは、十年間も浪人生活を続けたり、我流の仏文学研究をして数年間を過ごすことができるでしょう? 実に、彼らは満足しているのです。如何なる妄想形成もなしに、彼らは、既に、経団連会長で「有り」、有名仏文学者で「有る」のです。

神経症者にとっては常に逸せられる実との遭遇を果たしてしまった彼らは、まさに精神病者と呼ばれるべきでしょう。ついでに付け加えておくなら、DSM-IIIにおける「分裂型人格障害」の記述には、クレランボー(Catian de Clerambault, G.)が「すべての幻覚妄想状態の共通の核」として剔抉したautomatisme mental(精神自動症)のものと見倣される現象が散見されます。

かくして我々は、いわゆる境界例の混乱した領域のなかに、神経症と精神病とを分けるひとつの明瞭な境界線を引くことができるでしょう。

木村敏『心の病理を考える』(岩波新書)から抜粋:「軽症化」あるいは「異症状化」に関して

木村敏『心の病理を考える』(岩波新書)、p.204-206

分裂病のゆくえ
19世紀から20世紀前半にかけて蔓延した「古典的」分裂病像は、今後は次第に減少して行くかもしれない。しかし私は、この人類の「抵抗減弱部位」に関わる「分裂病準備状態」ないし「分裂病的な生きかた」が消滅して行くとは思わない。それはただ表現型を変えるだけで、今後も当分は──おそらく人類の絶滅まで──存続するだろう。表現型の変化、それはすでに「軽症化」として観察されている。私が精神科医になったころと比べても、周囲の人たちに大迷惑をかけるような派手な病像はすっかり減ってしまった。最近の分裂病患者は、ひとり孤独に「引き裂かれた自己」を噛みしめている。幻覚や妄想のなかで「他者たち」が大立ち回りを演じるような活劇もめっきり少なくなった。そしてそれに代わって増えてきているのが、古典的分裂病そっくりの病前性格や病前歴をもちながら、病像としては躁鬱病様の気分変動、強迫症状、離人症状、あるいは人格障害(「境界分裂病」や「分裂型人格障害」)などのかたちをとる患者たちではないだろうか。私は以前から、この種の病変を「異症状型分裂病」と呼ぶことを提唱してきた。最近ちまたを賑わせている「オタク族」にも、その一部には分裂病構造ときわめて近いものが含まれているのではないかと思われる(中島梓は『コミュニケーション不全症候群』(筑摩書房)のなかで「おタク」についての卓抜な分析をおこなっている)。

このような「軽症化」あるいは「異症状化」を考えてみるとき、分裂病より一足先にそのフェノタイプの変化が注目されたヒステリーや欝病と比較してみるのが示唆的である。

古典的なヒステリーは、麻痺症状にしても意識変容にしても、はっきり周囲の目を意識した「演技性」の目立つ病像を示していた。それが、同じようにやはり「疾病利得」に裏づけられた病的機制でも、近頃の病像はむしろ心身症的な身体の不調を主訴とする「内攻的」な性質のものに変わってきている。まるでヒステリー症状の成立に周囲の関心が関与する必要がなくなったかのように。

欝病の場合にも、以前目立っていた罪業妄想が次第に心気妄想にその地位を譲り、さらにはこれらの妄想症状自体がそもそも出現しにくくなって、いわば患者がひとりで自分自身を責めたり苦しんだりする自責感や身体不調感が多くなっている。自分は許されない罪を犯したという内容をもつ罪業妄想が共同体のなかでの自己の存在価値にかかわる症状であるのに対して、不治の病におかされたという内容をもつ心気妄想が、同じように「取り返しのつかないことになった」という構造を示していても、共同体の側からの評価を求めない、私的主観的な性格のまさった症状であることは言うまでもない。また、妄想症状の減少に関して言うならば、妄想は相互理解の断絶というネガティヴな意味で、やはり相手の関与を必要とする症状なのだ。

こういった症状の変化は、一般的に言って「間主観的」ないし「集団的」な表現型から「主観的」ないし「個人的」な表現型への変化と見ていいだろう。そして分裂病の表現型にもこれと同じ方向の変化が出てきているのではないか。本来、その病的機制からいうと「あいだ」の病変であるはずの分裂病の症状なのに、少なくともその表舞台から周囲の他者が姿を消して、自己自身が「あいだ」の相手役を一手に引き受けることになり、興奮や昏迷といった行動面の症状も、幻覚や妄想といった意識面の症状も、それが他者の関与を必要とするかぎりにおいて表現型の中心ではなくなりつつあるように見えるのだ。

このように精神疾患全体の傾向と思われるこの「内面化」の原因がどこにあるのか、遺伝子の問題なのかそれとも社会構造の問題なのか、それは今後の大きな課題として残るだろう。私たちがこれまで見てきたことから言うなら、そこにはどうやら自己意識の成立に伴うデュオニュソス・ゾーエー的な(つまり集団的・種的な)生命からアポロン的・ビオス的な(個人的・個体的な)生命への個別化という、進化論的な過程が大きく関与しているのではないか、私にはそう思われてならない。