【あかね】5/3(水)19:00〜「みんなで描くコミュニティ」

早稲田のフリースペース「あかね」にて、5/3(水)に以下の企画を催します。多数の方のご来場をお願いいたします。

●日時:2006年5月3日(水)19:00-23:00(映画上映は20:00から)

●場所:交流イベントスペースあかね
地下鉄東西線早稲田駅下車、徒歩3分)
http://akane.e-city.tv/
03−5292−1877

●料金:無料(チャージ200円、他飲み物・食べ物等注文をお願いします。)

●講師紹介

小川浩一(おがわ・こういち)
地球と人のケアテイカーを目指して、地元青梅で「ウォーキング・レボリューション」を実践中。食べられるコミュニティガーデンをつくる会代表。懐かしい未来ネットワーク事務局長。
http://caretaker.blog.ocn.ne.jp/
http://caretaker.blog.ocn.ne.jp/comgarden23/
http://afutures.net

●ワークショップ名:「みんなで描くコミュニティ」

ヒマラヤの西のはずれ、インド最北部にあるラダックで起こったことから学びながら、コミュニティについて、みんなでじっくりと考え、語り合うワークショップです。

環境破壊の問題、健康・子育て・老後・自治・犯罪などのあらゆる社会問題、個人の心の問題は、全てコミュニティの問題に集約されると思います。人は一人では生きていけない。人が生きていくための最小単位がコミュニティ。また、人は自然から離れても生きていけない。人と自然が調和して生きていく知恵を伝えてきたのがコミュニティ。

ビデオ『懐かしい未来:ラダックから学ぶこと(55分)』と続編『地域から始まる未来:グローバル経済を超えて(25分)』を観て、一人ひとりのコミュニティの記憶を呼び覚まし、お互いに体験を語り合うことで、コミュニティはなぜ必要なのか、どうして失われつつあるのかを一緒に考えてみたいと思います。一人では不安に思ったり、無力に感じてできないことも、みんなで知恵と勇気を出し合えばきっとできるようになるはず。そんなキッカケ作りの場にもなればと考えています。


ビデオの詳細
http://www.afutures.net/modules/tinyd1/
懐かしい未来」のメーリングリスト
http://www.egroups.co.jp/group/ancientfutures/
mixiの「懐かしい未来ネットワーク」コミュニティ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=650640

●参考書籍
ヘレナ・ノーバーグ・ホッジ『ラダック 懐かしい未来』(山と渓谷社
http://www.afutures.net/modules/tinyd0/

【排除を画策する墨田区土木課へ抗議を!】

マイミクの日記から転載。
転載歓迎です。
よろしくお願いします。

・・・・・・・
【さくらまつり期間の隅田川・桜橋野宿者の闘いへ注目を!
排除を画策する墨田区土木課へ抗議を!】


2005年、墨田区・桜橋と言問橋の間の一帯は「地域生活移行支援事業」の対象地区となり、多くの野宿の仲間が生活の場をアパートへ移していきました。その後、墨田区は事業の対象地域を新たなテントをつくらせない(新規流入防止)地域として監視するとともに、区全域にガードマンを徘徊させ、小屋をもたない仲間が横になるのも許さないという非人道的な体勢をとってきました。昨年7月、区内の大横川親水公園(錦糸町)では、野宿していた香取正光さんが少年によって虐殺されました。この事件もまた、野宿の仲間に対する区の非人道的な姿勢を背景にしたものに他なりません。

これに対して、8月、桜橋・高速道路下のデッキで仲間たちの集団野営が開始されました。これは仲間たちが団結して野営することによって、自らの生命を守り抜く取り組みです。当初、少数によってはじめられたこの試みは、仲間の輪を着実にひろげながら、40名以上の仲間が参加するものへと勝ち取られてきました。

しかしこの地域は花見の時期、住民が茶屋をだす「さくらまつり」の、さらに4月中旬にはレガッタの会場となります。その間、ここを野営の拠点とすることはできません。
仲間たちもさくらまつりの妨害をしようとは考えていません。仲間たちは墨田区土木課にその間の対策をもとめて質問状を出し、回答をもとめましたが、期日が来ても墨田区土木課は無回答、電話で回答を求めるも 「回答する意志はない」。話し合いを求めて土木課を訪れた仲間たちに対しては、窓口でも全く対応をせずに終業時間まで無視し続け、最後はガードマンに排除させました。区がさくらまつりを機に、この場所を寝泊まりさせないための監視下におこうとしているのはあきらかです。

仲間は「さくらまつり」のあと再びもとの場所に戻り、寝る場所がなく疲れ切った誰でも受け入れるような、仲間が助け合う今まで通りの空間を維持していきたいと希望しています。仲間は総意でそのことを確認しつつ、別の場所に集団で移動することにしました。その第一陣として白鬚橋上流のテラス、そして銅像堀公園へ19名がテントを建て、さらに15日夜、事業を拒否して残った4軒のテントがある、桜橋から言問橋のテラス区域に、7軒のテントが迅速に建てられたのです。この区域は「新規流入防止」地区ですが、本来、行政は「新規流入防止」の期間を事業実施から6ヶ月としていたはずで、とうに解除すべきはずです。にもかかわらず4軒には排除の圧力が強められようとしています。仲間たちはいま、この4軒をささえるとともに、テントを持てずにいたすべての野宿の仲間が新たにテントを建てて自らの生命を守っていくため、「新規流入防止」に対して異議を示すために、ここにあえてテントを建てたのです。
しかしテントを建てた翌16日、同地域を管理する東京都第五建設事務所は一日後の撤去を通告する警告書を貼ろうとしてきました。これに抗議した仲間の声を前に役人は女性支援者の下腹部に膝蹴りを加えるという暴挙に出てきました。女性支援者への暴行は全治5日におよぶものですが、これについて第五建設事務所はいまだ自らの非を認めようとしていません。さらに五建が警察に通報したことで、20名以上の制服警官と私服の公安が現れ、弾圧をはかるという事態になりました。私たちは、第五建設事務所がこの件で非を認め、謝罪するまで追及を続けます。

私たちは仲間たちの決意にこたえるためにも、新たなテントを守り抜くとともに、「さくらまつり」以降、ふたたび桜橋を仲間が自らの生命を守りきり、新たな関係をつくりだすための空間としてとりもどすための取り組みを開始しました。
まず私たちはとりわけすべての元凶たる墨田区に抗議し、対策をもとめます。その上で、第五建設事務所と東京都に対しては、強制排除を許さず、話し合いをもとめていきながら、新たなテントの仲間を防衛していきます。現在、『新規流入防止』は全国的に行われており、このままでは多くの野宿者が雨露をしのいで体を休めることもできず、次々と野垂れ死にしてしまいます。

この取り組みは、隅田川のみならず全都・全国の野宿者にとって死活をかけたものとなるでしょう。今後の事態に注目してください。
ぜひ、この一連の行動と情勢に注目とご支援をお願いします。

山谷労働者福祉会館活動委員会/山谷争議団・反失実

【お願い】
・ 桜橋のテントの仲間への激励のメッセージを送ってください。特に皆さんの運動や現場からの訴えもこめてくださるとうれしいです。これは現地でカードにして貼りだします。
FAX:03-3876-7073、
e-mail:san-ya@jca.apc.org

墨田区に「当事者の声を聞け、まともな対策を行え」、東京都第五建設事務に「強制排除するな、話し合いを尊重せよ」のFAXを送ってください。
墨田区木管理課占用担当
ファックス: 03-5608-6410
メール: KANRI@city.sumida.lg.jp

東京都第五建設事務所
FAX 03-3692-8710

・ 今後の行動、賛同のよびかけにご注目ください。

「遺伝子組み換えイネ裁判と生命特許」勉強会

「遺伝子組み換えイネ裁判と生命特許」勉強会

これですが、友人(柳原敏夫さん)が裁判のほうをやっていまして、私がホームページ(の一部・ニュース欄)更新の担当になっています。

http://ine-saiban.com/

ご覧いただければ幸いです。感想とかも伺えれば。

あと、私も明日の東京ウィメンズプラザのイベントには行くつもりですので、もし分かれば(分からないかな!?)交流できれば幸いです。(東京ウィメンズプラザに行く前に、「のじれん」の方々や野宿者の方々と交流する予定でいます。)

転送大歓迎!
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃『遺伝子組み換えイネ裁判と生命特許』勉強会 4月1日(土)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
      @青山・東京ウィメンズプラザ

緊急開催! 知っていますか??
『遺伝子組み換えイネ裁判と生命特許』勉強会のお知らせ

◇種子が企業の所有物になっている!
第三世界諸国から遺伝資源が盗まれている!
◇原住民のDNAを特許登録?!!
◇遺伝子組み換えイネの実験がスタート!

これまで世界中のほぼすべての宗教・文化において、神からの神聖なる贈り物として扱われてきた生命は、いまや人間の「創造物」として扱われるようになりつつあります。
つまり、遺伝子や化学物質などが、遺伝子工学技術を使って組み換えたり、特許取得者が売買する対象になっているのです!

日時 :4月1日(土)開場18:00 開演18:30〜20:40
講師 :天笠啓祐さん(遺伝子組み換えは食品いらない!キャンペーン代表)
    マッカーティン・ポールさん(生命に特許はいらない!キャンペーン代表)
    神山美智子さん(GMイネ裁判弁護団長)
ゲスト:加藤登紀子さん(歌手・国連環境計画(UNEP)親善大使)
司会 :シキタ純(NPO法人ビーグッドカフェ代表理事
内容 :18:00 オープン
    18:30〜18:35シキタ純   主旨説明
    18:35〜18:45 加藤登紀子       ご挨拶
    18:45〜19:15 天笠啓祐        講演
    19:15〜19:35 マッカーティン・ポール 講演
    19:35〜19:50 休憩
    19:50〜20:10 神山美智子   講演
    20:10〜20:40 質疑応答

会場 :東京ウィメンズプラザ 視聴覚室
    〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-53-67
    TEL 03-5467-1711(代)
    東京メトロ表参道駅B2出口徒歩4分 国連大学隣奥のビル
参加費:資料代500円

お申込み:事前申し込みをお願いします。
     お申し込み ●FAX   03-5773-0226
           ●E-MAIL info@begoodcafe.com
     記載内容  =名前/お越しになる人数/電話番号
お問合せ:NPO法人ビーグッドカフェ
     TEL 03-5773-0225 E-MAIL info@begoodcafe.com
主催  :NPO法人ビーグッドカフェ
協力  :鴨川自然王国http://www.k-sizenohkoku.com/
     遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーン(http://www.no-gmo.org)
     生命に特許はいらない!キャンペーン
     GMイネ裁判支援ネット(http://www.ine-saiban.com)
     食政策センター・ビジョン21(http://www.yasudasetsuko.com)

shikuさんへの応答

http://d.hatena.ne.jp/shiku/20060320/

中国で日本語・日本文学を教えているshikuさんの難しい問い掛けへの応答。フーコードゥルーズは難しい。ネグリ=ハート、酒井隆史渋谷望らはフーコードゥルーズに言及するが、しかしその例外的、欄外的な概念において参照するのであって(フーコーにおける「生政治」「生権力」、ドゥルーズにおける「管理社会」)、その主著をまるごと検討したものではないように思う。フーコードゥルーズ(そしてドゥルーズ=ガタリ)の最も難解な、最も謎めいた部分は、そのまま残ってしまうように感じている。フランス現代思想は、お遊びでもなければ、過去の遺物でもなく、今後数十年の月日を掛けて習得されねばならない何かだと思う。ジジェクヘゲモニーは、(特に後期)ラカンの言説が公開されてさえいないこと(そして日本語における『エクリ』の翻訳が、全く「読めない」ものであること)に拠っている、と思う。この悪い時代、悪い場所において生きる私達は、物事を単純化して済ませてしまいそうになるが、そうしてはいけないのだと、学び知る努力を止めてはいけないのだと強く思う。

引用が『シネマ』からではと推測したのは、「非合理的な切断」という映画用語が使われていたからです。shikuさんのお示しになった『フーコー』の該当箇所を見てみましたが、「フーコーは、奇妙にも、現代の映画に非常に近い。」と述べられています。そしてp108以下で、確かにカントとの比較がなされていますね。直観と悟性の二元性とそれを超えるものとしての想像力(構想力)の図式について言及されています。フーコーのカント主義について、柄谷さんもどこかで言及していたように記憶しています。

しかし、カントの『純理』の場合、「可能な経験」が生じてくる過程を超越論的に追うという仕掛けのため、直観と概念、ドゥルーズの用語では「可視性」と「言表」とは宥和的な関係にあるように思います。(想像力の「図式」に媒介されて、例えば、私が机を見る、というような経験が可能になります。)ところが、フーコー及びドゥルーズにおいては、かれらが「可視性」と呼ぶものと「言表」と呼ぶものは切り離され、「無関係」なものとなります。ドゥルーズ流の「現実の経験」の発生を追う「超越論的経験論」ですが、それは見られることしかできないもの、言われることしかできないものに関わっています。(『差異と反復』第3章「思考のイマージュ」)

p136以下では第3のものが「思考」と名指されますが、それはカントにおけるように宥和的で媒介的なものとは様相を異にしているようです。「思考することは、可視的なものと言表可能なものとを統一する美しい内面性に依存するのではない。思考は、間隙を穿ち、内面を圧し解体する一つの外の侵入によって実現されるのである。」(p137)

可視性と言表は、『言葉と物』でアイロニカルに対比されますが、それ以前に、『レーモン・ルーセル』などの初期段階から既に、言われることしかできないものの呈示としてあったと思います。

ドゥルーズは言います(p170以下)。「そして、この点で(註──外を時間よりももっと深い、終極的な空間性と考えるが、最後の著作において時間を外におき、襞という条件において、時間としての外を考える可能性を再び与えているという点で)必然的に、フーコーハイデッガーと対立することになる。「襞」はフーコーの著作につきまとい続けたが、最後の探究でその正確な次元を発見するのだ。それはハイデッガーとどんな類似、どんな差異をもつのだろうか。フーコーが、「通俗的な」意味での現象学、つまり志向性と断絶したことを出発点としてはじめて、これは評価できることだ。意識が物に狙いを定め、世界内で自分を意味するようになること、それはフーコーが拒絶することである。実際、志向性はあらゆる心理主義とあらゆる自然主義を克服するためにうちたてられた。しかし、志向性は新たな心理主義と新たな自然主義を発明してしまい、メルロ=ポンティ自らが言ったように、「学習」(learning)とほとんど区別できないようなものになる。それは、意識の総合と意味作用からなる心理主義、また「無垢の体験」と物、物を世界内に存在させること、などからなる自然主義を再構築するのだ。ここから、フーコーの二重の異議申し立てが発する。確かに、語や文にとどまっているかぎり、私たちは志向性を信じることができる。志向性によって、意識は物に狙いを定め、自分自身を(有意味な意識として)意味することができるというわけだ。物や物の状態に止まっているかぎり、私たちは無垢の体験を信じることができる。このような体験が、意識を通じて、物を〈存在させる〉というわけだ。しかし、現象学が唱える「判断中止」は、言表にむかって語と文を超え、可視性にむかって物と物の状態を超えていくことを、現象学自身にうながすべきだったろう。ところで、言表は何も狙い定めはしない。なぜなら、それは何らかの物に関わることはないし、一つの主体を表現することもなく、固有の自足した対象と主体を、内的な変数としてもたらすのだ。そして可視性は、すでに始源的な(前述的な)意識に対して開かれた無垢の世界に展開されるのではなく、ただ光に、光‐存在に関わり、これが可視性に、独特の仕方で内在的であり、どんな志向的まなざしからも自由な、形態、均整、遠近法をもたらすのである。言語も、光も、それらをたがいに関係させる様々な傾向(指示作用、意味作用、言語の意味性、物理的環境、感覚的な、あるいは理解可能な世界)において考えるのではなく、それぞれを自足的で、他方から独立した、還元不可能な次元において考えなくてはならない。光の「そこにある」と言語の「そこにある」において考えなければならないのだ。どんな志向性も、二つのモナドのあいだの淵で、あるいは見ることと話すこととのあいだの「無関係」においては崩壊してしまう。これはフーコーにおける重要な転換である。つまり、現象学を認識論に転換したことだ。なぜなら、見ることと話すことは、知ることであるが、私たちは話すことを見ないし、見ることについて話すのではない。そしてパイプを見ながら、私たちは(いくつかの仕方で)「これはパイプではない」と言い続けることだろう。あたかも志向性は、それ自身を否定し、それ自身崩壊してしまうかのようだ。すべては知である。そして、これが無垢な体験が存在しない理由である。つまり、知の以前、知の下には何もないのである。しかし、知は還元不可能な仕方で二重であり、話すことと見ること、言語と光である。だからこそ志向性は存在しないのである。」

なお「自己の自己による情動」という用語が『フーコー』では頻出しますが、原文を確かめたわけではないのですが、これはカントの「自己触発」(内官の形式である時間に関わる)の意味ではないか、と思います。自己触発は、根源的な遅延性といった主題にも関わるテーマです。